遺書の最後には、《クズ》という文字の横に小さな文字で《〇〇くんがぼくに言ったさいあくの言葉》と書かれていた。
「いじめていた子からは、何の謝罪もないままです。彼が結婚して子どもを持ったら、謝罪に来てくれるかなって。だから、拓実との思い出が詰まったこの家から、離れられない部分もあるんです」
いじめと自殺の因果関係が認められ、調査は終了。拓実くんが亡くなってから、約1年半という時間が過ぎていた。
だが、これで終わりではない。
「いちばん悲しまなければいけないときに、調査に時間を取られて……。張り詰めていた糸が切れたように、精神的に不安定になり、体調も悪くなったんです」
拓実くんが亡くなった日の午前2時ごろ。江美さんは、トイレに入った拓実くんに気がついた。覗き込み、声を掛けると、
「お腹が痛いんだよ」
――薬、飲む?
「もう少しトイレで頑張ってみる」
――我慢できなかったら、お母さんのところにおいでね。
これが最後の会話となった。同日の午前5時過ぎ、冷たくなった拓実くんが発見された。
「今でも朝の4時ごろにハッと目が覚めるんです。そして“今ならまだ拓実を助けられる!”と思って、急いで玄関に行くのですが、そこで夢だと気づくんです。そのあと座り込んでワンワン泣いて……。ある日は街で小さな子が“お母さん、このアイスがほしい”って言っている声を聞いて、それが拓実の声にすっごく似ていて、涙がとまらなくなったこともありました」
拓実くんが亡くなった当初は、料理すらできなかった。
抱きしめていた感触が忘れられない
「私が台所で料理をしていると、小学校から帰ってきた拓実が近づいてくるので、ハグをしていました。“今日の夕ご飯はなに~?”とか、匂いを嗅いで“今日は大根とお肉を煮たのだね”とか言うんです……台所に立つとそのときのことを思い出してしまって。拓実をギュッと抱きしめていた感触が忘れられません」
昨年、江美さんは『心的外傷ストレス障害』(=PTSD)と診断された。
「“うつ”とは診断されていましたが、感情があまりに不安定で“自分はこんなに弱かったのか、情けない……”と思っていました。それがPTSDという病気だとわかって、少し気持ちが楽になりました。でも“死にたい”という気持ちは消えません。グジグジしないように、何かしなきゃと手芸も始めましたが続かなくって……」
前を向こうと足掻くなかで、夫婦の関係も変化していた。