痩せることは生きること

 まして、痩せ姫の場合は「痩せることは生きること」という状況なので、太ることは「人間失格」レベルのつらさを生じさせます。自分の食欲という「見えないもの」との戦い。不安と恐怖におびえる日々です。

 それゆえ、指や腹筋、チューブなどを使って吐いたり、噛むだけで飲み込まないというチューイングをしたりする人も。

「リセットされた気分になれる下剤は、痛みさえも幸福に感じる」

「薬局で買った下剤に利尿剤に痩せ薬。宝物の詰まったバッグを抱えているようでうれしくてたまらない」

 などと、安心を口にしたりもします。

 さらには運動、例えば1日10キロ以上も歩くような過活動にハマる人も。そこまでしないと、怖くて仕方ないのです。

 痩せ姫いわく「摂食は果てしない儀式の始まり」「極端な偏食と極端な行動パターンのルーティン」というわけです。

 しかし、長年かけて培われた体形を変えるには同じことをしていては無理。痩せ姫の場合、やりすぎにも見えるでしょうが、それは痩せることの目的が違うからです。

 世間的に理解されやすいのは、きれいになるため、というものでしょう。彼女たちのなかにも、

「女の子のための服屋さんのワンサイズが入らないなんて、女の子として生きる権利がない」

 などと言ったり、骨格と見た目の関係について詳しくなったりする人はいます。ただ、それ以上に、これは美容ではなく、生き方の問題だったりするのです。

「今の自分を保つには過食嘔吐が必要。生きるために私は吐くの」

「生死ギリギリ、フラフラの極限状態が心地よくて」

 この感覚はなかなか代弁しにくいのですが、痩せ姫には自己実現の挫折や人間関係のつまずきによって深刻な生きづらさを抱えている傾向が目立ちます。その生きづらさが、痩せに没頭することでまぎらわせるというわけです。それはけっして、無駄ではなく、本人には必要なものです。

 しかも、そこからダイエットについてのシンプルなコツも見つかります。

「摂取カロリー<消費カロリーを貫いていたら、停滞していた体重が減り始めた」

「短期間でぐっと減らした方は過食になっている。ずーっと痩せ姫体形を維持してる方は何年という長い期間で減量している」

 といったものです。とはいえ、その実践はなかなか難しく、痩せ姫の葛藤は続くのですが─。それとともに、さまざまな気づきももたらされるのです。

 食と体形という現代的なテーマの最前線で葛藤する人たちから、生み出される金言の数々。痩せ姫のSNSなどには、そういうものがあふれています。もしかしたらそれは専門家の書いたダイエット本以上に、痩せることと生きることについての参考にもなるかもしれません。

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【写真】「命がけのファッション」と主張する痩せ細ってしまった“身体”

<取材・文/宝泉 薫>