広末涼子(42)が「キネマ旬報ベスト・テン 2022」の助演女優賞を受賞した。過去にも数々の映画賞を受賞しているが、日本最古で権威ある同賞を授けられたのは初めて。演技派女優の太鼓判を押された形だ。
スキャンダルも芸の肥やしにした広末涼子
4月からはNHK連続テレビ小説の新作『らんまん』に登場し、神木隆之介(29)が演じる主人公・槙野万太郎の母親・ヒサに扮する。朝ドラ登場は初めて。人気と好感度も高まるだろう。
何もかもが順調。もっとも、現在地に辿り着くまでの道のりは平坦ではなかった。
18歳だった1999年には早稲田大学入学をめぐって批判を浴びた。私生活上の言動を切り取られて、「奇行」などと報じられたことも。27歳で離婚も経験した。
だが、数々の障壁をものともせず、ドラマ界、映画界にとって欠かせない存在になった。スキャンダルも芸の肥やしにした昭和型女優と似た一面を持つのかもしれない。
本人も昨年4月に出版したエッセイ集『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』(宝島社)にこう書いている。
「大人になった今、辛かったり、苦しかったりした時に、悩み傷つき立ち止まった時間が、“不幸”が“苦労”が、いかに自分を成長させてくれたか。どれだけ他を思いやる気持ちや視点を生み出し育ててくれたことか、と気づかされる」
広末がスーパーアイドルだったことを知らない世代が増えているので、簡単に軌跡を辿りたい。デビューは高知市内の中学3年生だった1995年。ニキビ治療薬「クレアラシル」のCMとフジテレビ系のドラマ『ハートにS』に出演すると、たちまち爆発的人気を得た。
翌96年、広末が16歳になり、上京してTOKYO FMでレギュラー番組を持った際、インタビューをさせてもらったことがある。若い芸能人を接する機会は少なくないが、あの時ほど衝撃を受けたことはない。
初対面の広末は「こんにちわー!」と大声で言い、満面に笑顔を浮かべながら、にじり寄ってきた。まったく物怖じせず、屈託や照れを欠片も感じさせなかった。いくら10代とはいえ、こんなアイドルはいない。
広末が超の付くほど人気者になった理由は容姿が美しかったからだけではない。類を見ないほど天真爛漫だったためだ。
その広末の表情が曇ったのは2年後の早大入学騒動だった。自己推薦入試で教育学部国語国文学科に合格したものの、入学式から約3か月にわたって登校しなかったところ、かなり批判された。
今になって思うと不思議な騒動だった。推薦入学であろうが通学しないのは自由であるはず。指定校推薦ではなく、実力で合格したのだから、母校に迷惑が掛かる恐れも考えにくかった。華やかな世界の芸能人が超難関大に合格したことへのジェラシーも背景にはあったのではないか。
1998年秋に合格が公になってしまい、その時点で騒ぎになったため、広末は大学に足を運びにくくなった。キャンパス周囲では大勢のカメラマンたちが広末を待ち構えていた。
実はこの時期、広末は早大出身の大物先輩女優に水面下で相談をしていた。高校中退後、大検合格を経て、1969年に早大学第二文学部西洋史学専修を次席で卒業した吉永小百合(77)だ。