30周年の際に一度7人で集まった
'02年にジャニーズ事務所から退所した山本は、芸能活動だけでなく一般企業で働くようにもなった。インターネットのバナー広告を扱う会社で営業職を担当し、愛媛県内のバーではアルバイトに精を出した。
「グループを卒業して1人ぼっちになり、自分があまりにも世間知らずなことに悩みました。13歳からジャニーズにいて、芸能の世界しか知らないわけですから」このままではよくないと、一般職に足を踏み入れてみた。
「芸能界で鍛えられたから、なんとかなるだろうとも思っていました。でも、大変なことばかりで、すぐに鼻を折られました。接客業にしても、そのしくみがわからない。営業職でも“元・光GENJI”なんて肩書は、契約を取るのには全然通用しなかった。すごく情けない、いい時間を過ごしました」
山本が愛媛で活動していたころ、一般女性との間で起きたトラブルについての報道が世間を騒がせたことがあった。あのとき、山本から反論めいた発信はなかった。
「裁判も終わり契約を交わしたので、あの件について詳しく語ることはできないんです。ただ、自分のプライベートで光GENJIという名前を汚したことは本当に申し訳ないと思います。ファンにも、メンバーにも、ただ謝りたいです」
'22年夏に、本格的な芸能活動の再始動を “恩師”の墓前に報告したという。同年は、山本の芸能界デビューとともに光GENJI結成・デビューの35周年イヤーでもあった。
「光GENJIのデビュー日でもある8月19日に芸能活動を再始動すると決めたので、その前にジャニー(喜多川)さんとメリーさんのお墓に報告に行きました。『これからも見守っていてね』と」
ここで気になるのは、やはり光GENJIの再結成だ。
「誰かが中心になってメンバーをまとめるのではなく、全員が同じ熱量で、フラットな状態であれば、再結成は叶(かな)うと思います。たぶん、男闘呼組は全員がフラットな関係だから再結成できたんだと思います。
実は、30周年を控えていた時期に『また、やれたらいいね』と7人で集まったことがあるんです。でも、結局それぞれの思いは一つにならず……時期尚早でした。35周年も過ぎてしまいましたし、40周年のタイミングなら復活できる……かな?(笑)
でもそうなると、僕も56歳です。その年齢でローラースケートを履いて、歌って踊れるのか。グループ全員をその状態に持っていくには、最低半年はかかると思いますしね(笑)」
山本の現在の活動はソロが中心だ。
「あまり再結成ばかり期待されるとプレッシャーになるので、ファンの皆さまには気長に待っていただいて(笑)。でも、7人で集まったときのために、みんな体調に気をつけて活動してほしいと思います。僕自身、60歳になってもローラースケートを履いて踊れるように頑張っていたいです!」
1972年、東京都出身。'87年、光GENJIのメンバーとしてシングル『STAR LIGHT』でデビュー。爆発的人気を博し、社会現象になった。'95年に解散。現在はタレントやミュージシャンとして活躍中。
<取材・文/寺西ジャジューカ 撮影/伊藤和幸>