「とにかく必死でした。師匠に“軍団に代わりはいくらでもいるから”と言われて、“くそー、なんとかしがみついていかなきゃ!”と思って。今振り返ると、常に全力投球だったような気がします」
'80 〜'90 年代はバラエティー番組の黄金期で、芸人たちが身体を張って笑いをとっていた時代。熱湯風呂にボウリングのボールを使ったバレーボール、ワニ園での綱渡りクイズ、ブリーフ1枚で雪のスキー場直滑降など、文字どおり命がけのロケも多々あった。
テレビではできないことをYouTubeで!
「雪山直滑降は40歳近くまでやっていたんじゃないかな。あるときタカさんの裸の背中にシミができているのを見つけて……。彼は7つ年上ですから、“自分がタカさんの代わりに頑張らなきゃ!”と思った記憶があります(笑)」
今となってはコンプライアンス的に問題視されそうな過酷な現場の数々を乗り越えてきたが、芸人たちの頑張りがお笑いの一時代を築いたのも事実。ラッシャー自身にとってその経験はまた大きな武器になったと話す。
「おかげで鍛えられました(笑)。免疫がついて、風邪をひくようなこともまずありません。だから25年間の生放送もやってこられたんだと思います。番組は卒業したけど、リポーターのお仕事はこれからもずっと続けていきたい。その土地の魅力を伝えていくのは僕の使命だと思っているので」
今年は芸歴40年という節目に加え、6月15日の誕生日で60歳の還暦を迎える。人生の3分の2をたけし軍団として生き、初舞台を経験した今、この先挑戦してみたいことを聞いた。
「軍団で昨年YouTubeを始めたので、そこでまた旅番組をやりたいですね。何しろネタは山ほどありますから。テレビじゃ言えないこと、できないことも、YouTubeならできそうじゃないですか(笑)。パンツ一丁でスキー場にはもう行けないけれど(笑)、まだまだ変わらず現役で頑張るつもり。軍団の誰一人欠けることなく現役でい続け、次はみんなで50周年記念公演をやれたらと……。ただ僕はなるべくセリフ少なめで、と思っています(笑)」
取材・文/小野寺悦子