“自分らしさ”が活きたがん教育の啓発活動

昨年、麻倉さんはデビュー40周年アルバムをリリース。コーラスとして参加した(左から)庄野真代さん、石井明美さん、(右端の)澤田知可子さんと記念撮影
昨年、麻倉さんはデビュー40周年アルバムをリリース。コーラスとして参加した(左から)庄野真代さん、石井明美さん、(右端の)澤田知可子さんと記念撮影
【写真】歌手への道が開けた“モデル”時代の麻倉未稀が綺麗すぎる

 麻倉さんの人一倍の気遣いは変わっていない。頑張り屋の性格も、行動力もそのまま。“自分らしさ”は、取り組んでいるがん教育の啓発活動にも大きなプラスになった。'22年6月29日には日本専門医機構の理事に就任し、専門医制度の拡充にも努めている。『あいおぷらす』の活動もコロナ禍でのリモートを使った情報発信の取り組みが評価され、9月13日に税制上の優遇措置が受けられる「特例認定NPO法人」となった。

 そして迎えた今年3月30日のコンサート。前回、'18年9月の『ピンクリボンふじさわ』のキックオフイベントは市民会館の小ホールに約300人の観客が集まった。今回は大ホール、会場は1000人を超える観客で埋まった。

 ステージには活動を支援するアーティストたちが駆けつけた。つるの剛士さん、木山裕策さん、TUBEのベーシスト・角野秀行さん、もちろん富田さんの姿も。歌とトークで繰り広げられるコンサートの中盤では、デビュー40周年でリリースした新曲、庄野真代さんが作曲を担当した『The breath of life』も披露。さりげなく、あたたかく、相手に寄り添うような新曲は、「いまの自分だからこそ歌える」と麻倉さんは話す。

「乳房再建でインプラントを入れたので肺活量は少なくなったんです。ブレスする場所も前とは違うんですけれども、むしろ肺や肋骨に負担をかけずに腹式呼吸ができるようになった。病気をしていなかったら、いまの歌い方はできないかもしれません」

 歌い方に変化をもたらすきっかけは他にもあった。'22年3月に比叡山延暦寺で聞いた仏教声楽の「声明」に麻倉さんは衝撃を受けた。

声明は“祈り”だと説明されました。お坊さんの声が天女のように聞こえて、部屋の中が声に包まれた感じがしたんです。倍音といって、例えば“ド”というひとつの音の中にも上と下があって、倍音が出せると声の膨らみ方や伝わり方がまったく違ってくるんですね。声明は倍音で唱えられていて、これを習いたいと思って5月に一人で延暦寺を訪ねたら“3年かかる”と言われ、いまも修行の身です(笑)

 ステージのクライマックス。麻倉さんが『ヒーロー』を歌うと会場のノリは最高潮に。

「未稀さんの『ヒーロー』の後は、完全燃焼して草木も生えないっていつも言っているんです。でも、この日は違いましたね」(富田さん)

『ヒーロー』が終わり、出演者もスタッフも観客にあいさつをして退場すると、麻倉さんだけがステージに残った。

「私一人、取り残されたのは意味があります。もう一曲、歌います」

 観客へのサプライズ。静まり返る中で麻倉さんがアカペラで歌い始めたのは、『アメイジング・グレイス』だった。

 やさしく、晴れやかに、朗々と、感謝と祈りの言葉が会場を包み込む。2コーラス目に入ると、マイクを持つ麻倉さんの右手が少しずつ口元から離れていった。両手を横に広げたまま、歌は続く。マイクを通さない麻倉さんの生の歌声が、大ホールの最後列にまで美しく響き渡る。圧倒的な声量。圧巻の歌唱。

 麻倉さんが歌い終えると、「ブラボー!」という歓声があちこちで上がった。草木も生えない会場全体に、色とりどりの花が咲き誇るかのように、この日一番の大きな拍手は鳴りやまなかった。

「ありがとうございました!」

 輝く笑顔で麻倉さんは観客に応える。しっかりと地に足を着け、歌手麻倉未稀は“自分”を表現していた─。

<取材・文/伴田 薫>

はんだ・かおる ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ 赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー 世界へ、終わりなき挑戦』(NHK出版)。