'19年、そんな彼らのことを思ってか、平野がある行動を起こす。
「平野さんがスタッフと相談し、ほかのメンバーに内緒で、全員でのダンスレッスンのスケジュールを入れたのです。その後もこのレッスンは継続され、徐々に周囲からグループ全体のダンススキルを褒められることが増えたそうです」(前出・アイドル誌編集者、以下同)
アメリカで味わった“挫折”
また、同年にはメンバー全員でアメリカでの“武者修行”にも挑んだ。
「平野さんの希望で、世界的なHIP-HOPダンサーであるメルビン・ティムティム氏のレッスンを受けていました。しかし、メンバー全員が世界とのレベルの差を痛感し、挫折を味わったそうです。この挫折が、グループ飛躍につながったのではないでしょうか」
“平野主導”のレッスンが多いが、彼が練習にこだわるのは幼少期からだった。
「平野さんは、小学2年生でダンスを習い始めたそうです。でも、小さいころは目立つのが好きではなかったようで、初回のレッスンは泣きながら見学していたんだとか(笑)。レッスンを重ね、上達するにつれてダンスが楽しくなったようで、多い日は1日7時間も練習していたそうです」(前出・芸能プロ関係者)
しかし、その練習量が裏目に出てしまい……。
「小学4年生のときに膝の半月板を損傷し、手術をしたんです。今でも、動きすぎると痛むことがあるそうです」(同・芸能プロ関係者)
ダンスにのめり込んだことで、音楽の好みも形成されていった。
「小さいころから、海外のHIP-HOPなどのいわゆる“ブラックミュージック”をよく聴いていました。まだ幼いながらも、クラブにも出入りして踊っていましたよ」(音楽業界関係者)
これが、平野の目指す道にも影響したようで……。
「昔から“王道アイドル”よりも、“アーティスト”志向が強いんです。そのことも、退所を考える一因になったのかもしれません」(同・音楽業界関係者)
“アーティスト・平野紫耀”は、これからどんな世界を見せてくれるのか─。