待ち受けていた運命の出会い
さらに、運命的な出会いが彼女を待ち受けていた。川上の両親は共にインテリアデザイナーの職についており、孫の面倒を見るため、母方の祖父母が近所に引っ越してきてくれたのだ。彼女は祖父母の家に入り浸った。
「その隣に住んでいらしたのが、当時、『太陽にほえろ!』とか『ゆうひが丘の総理大臣』を書いてらっしゃった脚本家の畑嶺明先生で、『太陽にほえろ!』の放送前の台本をいつも私にくださったんです。だから、私はその台本を覚えて、放送を見ながら『ここが変わってる!』って楽しんでいました(笑)」
こうしたさまざまな出会いにより、川上には目標ができた。俳優に憧れるようになったのだ。中学在学中である1978年より、彼女は児童劇団「ピノキオ」でレッスンを受けるようになった。当時について、玲子さんが振り返る。
「そういう年頃になっただけと思って、最初は反対してたんです。無視してたんですね(笑)。ただ、そのころの麻衣子はちょっと早口だったので、劇団に入ったら直るかなとも思って。そこからは、劇団の方から『実際にドラマに出たほうが勉強になりますよ』って説き伏せられました」
劇団側が両親を説得にかかるほど、最初から有望株だった。
彼女がデビューを果たしたのは、TBS東芝日曜劇場『娘が出ていくとき』というドラマである。主演・杉田かおるの友達役として、ワンシーンのみの出演だ。しかし、共演者の顔ぶれがすごい。故・杉村春子さん、故・山岡久乃さん、草笛光子という錚々たる顔ぶれ。加えてプロデューサーは石井ふく子、脚本は故・田井洋子さんという大御所だらけの作品であった。つまり、川上は推されていた。
『金八先生』放送のたびに憂うつに
そして、彼女はブレイクする。1980年10月にスタートした『3年B組金八先生』(TBS系)の第2シリーズで迫田八重子役を演じることになったのだ。同作で加藤優役を演じ、国民的な人気者になった俳優・直江喜一は、現在も川上との交流を続ける盟友である。直江は川上のことを、今も「八重子」と、役名で呼んでいるという。
「オーディションで会ったとき、話はしてないのですが『この子は受かるな!』と思いました。それだけ、八重子(川上)に華があったんだと思います」(直江)
『金八先生』第2シリーズにおいては、直江演じる加藤と、故・沖田浩之さん演じる松浦悟、そして川上演じる八重子の3人が作品の主軸ともいうべき存在だった。そして、この3人は三角関係のような設定でもあった。特に沖田さんは、『金八先生』以前より竹の子族のメンバーとして多くの女性ファンを持つ人気者。しかも、当時は“マジ”になるファンばかりである。川上は女性視聴者から嫉妬の対象になってしまった。
「ヒロくん(沖田さん)のファンが、とにかく怖かったんです。ちょっとヤンキーっぽい子も多かったから、街を歩いてたら石を投げられたり、よくいじめられましたよ。あと、“あなたを嫌いと言ってる人リスト”とか『みんな、あなたのことが嫌いです』と血判状みたいなのが送られてきたり。全国の中学生の90パーセント以上が見ているようなドラマだったから、うつっぽい状態にはなりましたね……」
当時の川上の状態には、直江も気づいていたようだ。
「撮影中、そんな話は本人から聞いていました。ショックだったようでしたけど、そんななかでも明るく健気にみんなと仲良く話したりして、逆に彼女のことをすごいなと思っていました」
翌1981年、社会現象にもなった『金八先生』第2シリーズは最終回を迎えた。
「忙しかったせいもあるんでしょうけど、当時のことはあんまり覚えてないんです。ただ、放送になるたびに何か言われてしまうので憂うつな気持ちになるのと、終わったときには解放されてホッとしたことを覚えています」