個性的な“期間限定メニュー”
「その時代はひたすら……忙しく、毎日……仕事、でしたね(笑)」
失われた40年をそう振り返るのは、現在の最古参社員である今井雄介さん。失われた40年の間にさまざまな店舗で店長職などを経験してきた。
「お店自体は常に営業していて、私は販売する立場で記憶があるので、“失われている”というイメージはないのですが、広報は(こういった社史を作るとなると)苦労しますよね。ただあくまで記憶なので、はっきりと何月何日に何を売っていたという正確な記録はないので、年表のように“発表”しづらいところがありますね」(今井さん、以下同)
ドムドムといえば他のハンバーガーチェーンでは見られない個性的な“期間限定メニュー”で知られる。残されている数少ない資料から一部を抜粋すると、『'89年 ごまだれバーガー』、『'93年 お好み焼きバーガー』、『'95年 えびシューマイバーガー』、『'96年 ギョーザバーガー』などなどなどなど……。
バズったツイートに付いたコメントを見ると、“ドムドムの思い出”としてお好み焼きバーガーを上げる人は多い。それを今井さんは最初期より作っていたという。当初は冷凍食材を使っていたが、再度、期間限定で復活した際には冷凍は使わずお好み焼き含めてすべて手作りだったため非常に大変だったという
“失われた40年”期で今井さんがいちばん印象に残っているメニューは……。
「メニュー単体ですと『コロッケバーガー』ですね。100円で販売いたしまして、いわゆる薄利多売、個数を売るほうに方針を変えたときのものです。コロッケにケチャップ、マヨネーズというシンプルな中身で安いのにボリュームもあって美味しかった。
まとめてお持ち帰りされるお客様がたくさんいらして何個か袋詰めした商品をスーパーの出口に行って駅弁のような販売もしておりました。ただ100個売れても消費税3%時代なので売上は1万円に満たない……。それでもお客様に喜んでいただけている事を実感できるメニューでしたね」
失われた40年の後期には“手作り”シリーズが多く、それも大変だったという。
「ハンバーガーのパティを解凍して、衣を付けてメンチカツにしてとか、お店で作るということに取り組んでいた時代もありましたね」
ドムドムの運営会社は、現在のドムドムフードサービスに至るまで計3度変わっている。
「運営会社の変更で、フードコートの会社が運営した時代がありました。フードコートになりますので、ラーメンがあり、丼ものもあり、そのなかでハンバーガーも販売しているという形です。店長は全て調理できないといけないので、私もスパゲッティを作って、クレープを焼いて、ラーメンを作って、ハンバーガーも作る。覚えなきゃいけないメニューがいきなり5、6店舗分増えたんです。そのころはフードコート内のハンバーガーの売り場という形で、“ドムドム”という屋号が出ていない店舗もありました。
その後、社長が変わって“餅は餅屋”ということで、(それぞれメニューのジャンルごとに分かれた)事業部制に戻りました。そのような時代があったので、入社時期によっていろいろ“技”が違うというか、ハンバーガーはスペシャリストだけど、ほかのことはわからなかったり」(今井さん)
運営会社の変更により、業態も変更。これも情報が受け継がれなかった要因だろう。
「そのころに本社も何度か引っ越しをして、当時はフロッピーディスクを使い始めたくらい。記録できる媒体も現在のようになかったので、資料が少ないのかもしれません」(同・今井さん)