受け手を突き放すかのような「嫌なら聴くな」的な発言をめぐっては、過去にも炎上事案が起きている。「ナインティナイン」岡村隆史さんが2011年、そのころ韓流(はんりゅう)を推していたフジテレビへ批判が出ていたことに対して、ラジオで「嫌なら見るな」といった趣旨の苦言を呈したことだ。
この発言を境に、フジテレビへの風当たりが強くなり、ネットユーザーを中心として「嫌だから見ない」との反発が起き、視聴率低下の遠因になったのではとの指摘もある。
岡村さんは2018年になって、当時の発言をテレビ番組で謝罪しているが、今回の山下さんの発言を受けて、「岡村さんを思い出した」とのツイートは多々見られる。
ラジオの「閉じた空間」が温度差を加速させた?
では、なぜ温度差が生まれるような発言が、なされてしまったのだろうか。
ひとつ考えられるのは「閉じた空間」と、それ以外の区別ができていない可能性だ。筆者はラジオの魅力を「閉じた空間ゆえに生まれる、パーソナリティーとリスナーの関係性の近さ」にあると考えている。
それだけに、もしシャッターの向こう側で「聞き耳」を立てている人が現れると、認識にズレが生まれてしまいかねない。番組リスナーによる実況ツイートが当たり前になり、スポーツ紙やネットニュースが、放送中でも発言を記事化するようになるにつれ、閉じた関係における「お約束」が、背景を知らない人々にも届き、炎上リスクをはらむようになった。
山下さんは9日の放送で、「サンデー・ソングブック」を「私の唯一の発信基地である」と表現していた。それほどまでに、心のよりどころにしているのであれば、「私の音楽は不要」発言も、リスナーを突き放す意図ではなく、「コアなファンであれば、わかってくれるだろう」との思いがあったのかもしれない。
ただ、少なくとも今回は、それが裏目に出たように感じられる。