演歌歌手のイメージを破る“キャラ変”

ポップス、ロックなどもステージで歌う天童には“演歌歌手”というカテゴリーは狭すぎる
ポップス、ロックなどもステージで歌う天童には“演歌歌手”というカテゴリーは狭すぎる
【写真】小学生のころ“のど自慢荒らし”として活躍していた天童よしみ

 天童はよほどのことがない限り、人の意見を採り入れるようにしている。両親からの助言があったからだ。

「自分がええと思っている曲ばかり歌っていると、自己満足で終わるぞ」

 その教えを守り続けて手にした曲が『珍島物語』である。実は天童、この曲のデモテープを聴いたとき、自分の曲ではないと思った。メロディーが単調、演歌っぽくない、コブシがない。一度は断った。が、テイチクの社長から「心機一転も大事」と言われ、聴かせるアレンジに仕上がっていたので引き受けることにした。するとあれよあれよという間にミリオンセラーに。'97年、2度目の紅白歌合戦出場を果たした。

 実はこのころから、ひそかに天童の“キャラ変”計画が動き始めていた。本人によると、

演歌歌手は笑っちゃいけない。着る物もパンツスーツ中心で男っぽいイメージ。性格もやや暗めで、話す言葉も共通語。台本以外のことはしゃべらないように事務所の社長から言われていました」

 だが当時、事務所スタッフとして天童に同行していた安念孝仁さん(60)は、それではもったいないと考えていた。普段の天童は話が面白いからだ。

 例えば、仲の良い歌手数人で高級寿司を食べに行った際、割り勘で払うことになったのだが、みんながゴールドのクレジットカードで払っているのを見て、私もカードでと思った天童、普段は現金主義なので、間違って病院の診察券を出してしまった話、カラオケで歌った点数が出る機種が出始めたころ、天童が持ち歌を完璧に歌ったにもかかわらず40点と表示が出て、「この機械、壊れてるなあ」と言って店を出た話。

 次は母親のエピソードで、舞台にはせり上がり用の穴があいているのだが、そこに天童が落ちて大ケガしないか心配で、舞台袖で見ていた母親が「気ぃつけや」とつぶやきながら、客席から見える場所に立った話……。

 こうした面白エピソードは山ほどあるので、それをステージのトークやテレビのバラエティーなど用途に応じて、天童とネタを考えた。

「言葉も天童さんの良さが出る大阪弁にしました。大阪のコンサートに来られた方の感想で“さすが天童さん、話が上手だわ、ヨシモトとは違うな”と。勘違いさせるほど笑わせることができて、思わずガッツポーズしました(笑)」(安念さん)

 NHKの歌番組のコーナーで、亡くなった遠藤実さんとの思い出を複数の歌手が語ることになったとき、安念さんらと天童は作戦を決行。台本にはない独自ネタ話を披露した。「遠藤先生から、あなたはキレイになると言われました」と。アナウンサーはとっさのことに固まったが、客席が揺れるほどの大爆笑に。

「そうしたチャレンジを続けていくうちに、天童さんは明るく面白い人というイメージが浸透して、レコード会社も“人間・天童よしみ”、親しみやすさを押し出していこうという戦略に転換していったのです」(安念さん)

 2頭身の「よしみちゃん人形」ができたのも、その一環だった。店頭に並ぶと、生産が追いつかないぐらい売れた。魔除け、歌がうまくなるお守りなどのご利益があるともいわれた。ノーベル製菓の『VC-3000のど飴』のCMで「なめたらあ・か・ん~♪」を歌い始めたのも'98年。コンサート会場にも若い女性が来るようになった。