東京・三鷹にある認知症専門『のぞみメモリークリニック』で、北原佐和子(59)は准看護師として忙しく働く。すらりとした体形を今もキープし、温和な笑みを絶やさない。
“花の82年組”と呼ばれるアイドルの一人だったとは思えない
「診察、お願いします。2診は精査、薬です」
「3診、出血フォローお願いします」
よく通る声でドクターと話し、立ち働く姿は、“花の82年組”と呼ばれるアイドルの一人だったとは、とても思えない。それでも時代劇やサスペンス、昼メロなどテレビドラマによく出ていることから、“あれ、似ているね”と気づく人もいる。41歳でホームヘルパーの資格を取得して以来、女優としてドラマや映画の撮影に臨む合間に、介護施設などで働いてきた。ここには2022年夏、クリニック側から声をかけられ、勤務を始めた。
肌身離さず持っている小さなノートは、お手製の虎の巻で、ことあるごとに確認する。のぞくと、医療についての知識や技術が几帳面な字でびっしり書き込まれていた。
子どものころから“職業は看護師か教育者か警察官を選びなさい”と親に言われて育った。看護師になった妹を“親の言うことを聞いて偉い”と親は褒めたが、北原が介護の道に進もうとしたときは“お姉ちゃんにできるはずがない”と言われた。年子なのもあり、姉妹は何かと比較され育てられた。芸能界に入る前、親には激しく反対を受けた。20代前半になってもまだ“学校に戻りなさい”と叱られた。准看護師の資格を取得したとき、親はようやく安堵した。
親の心配はそれほど長く続いたのだ。
スカウトされた美少女
1964年3月、北原は東京・池袋の鬼子母神近くの病院で生まれた。それから埼玉県の朝霞、上福岡と引っ越しが続いた。銀行の住宅ローンが普及して郊外にマイホームを手に入れ、都心から引っ越す家庭が多い時代だった。
少女時代はとても内気で、ちょっとしたことでよく泣いた。親戚などが集まると、みんなの前で歌ったり踊ったりする陽気な妹。そんなときに親の後ろに隠れる内気な少女だったのが北原だ。思春期を迎え、心に変化が生じる。毎日決まった時間に目覚まし時計で起き、決まった時間に家を出て、同じ時間の電車に乗って通学するという日々の繰り返しに、疑問を覚えたのだ。北原は当時を振り返る。
「はたから見れば、ずいぶん不思議な子どもだったのかもしれません。新鮮なことに目を向けたくなって、友達と写真を撮り合い、雑誌の読者コーナーに送ってみました。別に自信があったわけではなく、悪ふざけのつもりで。それが運よく、1ページでどんと大きく載ったのです。一緒に撮った友達は写真を送っていなかったんですけどね」
月刊誌『エムシーシスター』(婦人画報社)に掲載された写真を見て、大手プロダクションがスカウトをしてきた。マネージャーが写真を撮り、広告代理店に持ち込んだが、仕事には結びつかなかった。演技レッスンを受けるように指示され、出向いた先は薄暗いアパートの狭い一室。そこに“先生”がいて、セリフを読まされるなどした。
「子ども心になんとも怪しげな空間でした。恐怖を感じ、“私はどうしたらいいですか”とマネージャーに聞いたところ、“どちらでもいい”との返事だったので、やめました。まだ契約したわけではなかったので、レッスンに行かなくなっただけですが」(北原、以下同)