無駄を整理して息子たちとは付かず離れず
大島監督と死別して8年ほどたった2021年、小山さんはうつ状態に陥った。
「お洋服とか美容院、エステやネイルなどにお金をかけすぎていて。それで2年前、経済的に破綻しそうになったことがあったんです」
夫の死後、自分の介護経験を他の人にも生かしてもらうおうと、講演会などで活躍していた小山さん。
ところがコロナ禍でこうした催しが中止、収入が途絶えてしまった。楽天家を自任する小山さんも、“このままあと5~6年生きるとしたらどうなるんだろう……?”と思い詰め、ついにはうつ状態に。
「そうしたらお嫁さんが家族会議を開いてくれて。それで“私、全財産を託すからどうするか考えて!”と」
家族が出した改革案は的確だった。まずは5つも入っていた生命保険を年金型の保険2つを残して整理。年間50万~100万円もかかっていたというお中元やお歳暮を廃止、年賀状じまいも行った。
今では友人との食事もワリカンと徹底している。確かに疎遠になった人もいるが、後悔はしていないと小山さん。
「今、私は88歳なんですが、もっと早く80歳ぐらいのときにやればよかったと思います」
さらには「楽しく生きる」がモットーになった。
「フルート奏者の吉川久子さんはマージャン仲間。彼女の実家で、1か月に1回やっていて、実は昨日も夜10時までマージャンしたり(笑)
コーラスも月1回、毎週水曜日には水泳教室に通っているし、女性向けのジムにも行っています。大島は倒れて歩けなくなりましたから、歩けなくなるとどれだけ周囲が大変か、よく知っています」
高齢になっても自立していられる。実はこれこそ親ができる最大の“子孝行”なのかもしれない。そんな小山さんの長男と次男は、それぞれのパートナーとともに小山さんに付かず離れずといった姿勢で支えてくれている。
「病院通いは2人のお嫁さんが順番についてきてくれますし、毎週日曜には長男の家でごはんを食べ、次男のお嫁さんも毎週1回は家に来て、何か食べるものを作ってくれています」
すでに独立した家族とのこうした理想的な付き合いは、実は小山さんの独立心の賜物(たまもの)でもある。
「私、ずっと強い母でいたんです。大島を長年介護していましたけど、息子にもお嫁さんにも“大変だから来て!”というSOSは出したことがないんです。ある年代になったら家族に頼るしかなくなるし、頼っていいと思いますが、それまでは、ね。
家族は頼りすぎてはダメ。それにプラスして趣味を持ち、毎日を楽しく暮らす。配偶者を亡くした後は、これが一番大切だと思います」
そう微笑(ほほえ)んだ小山さんの指には、夫からの贈り物というリングが柔らかな光を放っていた。
取材・文/千羽ひとみ