めぐみさんの記録が裏付けるもの

 桐生市の保護率は2011年をピークに急降下を始めていることがデータから見て取れる。そして異様なほどに多いのが、却下率と取下げ率だ。

群馬県内保護率(2010年〜2021年)出典/生活保護情報グループ作成
群馬県内保護率(2010年〜2021年)出典/生活保護情報グループ作成
【写真】めぐみさんが残していた当時の記録と、明らかに異様、保護率が急激に下がっている桐生市

 2023年12月18日に桐生市役所3階で行われた桐生市市長の記者会見に筆者も参加した。そこでこう質問している。

「今回のケース、過去に北九州市で3年連続、餓死者や自殺者を出した『闇の北九州作戦』を思い出した。一人申請を受けたら、別の一人の生活保護を廃止にして保護件数をコントロールしていたことで起きた悲劇だ。桐生市ではたとえば桐生の施設によそから一人入ったから、こっちの一人を前橋市に送るというような形で件数コントロールはなかったか?そのようなコントロールにより保護率が減少したということはないか?

 質問に対し、小山福祉課長は「生活保護世帯数の目標数はありませんので、あくまでも自然現象と思っております」と答えた。また、保護率が急降下し始めたまさに2011年に保護課係長として配属された助川部長(2023年12月31日に異動)は「課長のお答えしたとおりで、数字等のコントロールをしたということは一切ございません」と断言した。

 桐生市がめぐみさんの父親やご家族に対して行ったように、申請を何度も何度も撥ね返し、やむなく申請を受理したあとは、今度は家族を呼びつけたり、家にまで押しかけて執拗に扶養を迫ったりし、言葉の暴力で精神的にダメージを負わせ、口実を設けて受給者をできるだけ遠くへと追いやる。その際、移管はせずに辞退届を書かせる。

 このような運用をしていれば、当然、保護率は下がっていくだろう。それを自然現象というのなら、その現象は職員による不適切対応、ハラスメント、違法対応の結果ではないだろうか。

 桐生市では内部調査チームが結成され、今月には第三者による検証委員会の設立が予定されているが、めぐみさんのように過去のケースにもさかのぼって訴えを聞いてもらいたい。

 内部調査チームの長である森山副市長に話を聞くため桐生市役所に電話したところ「お電話にお繋ぎできません」と言われてしまった。保護課の小山保護課長に確認すると、ケース記録の保存年数は5年であるため「すでに保護が廃止になっている人の記録はない」ということだった。

めぐみさんの思い、仲道司法書士の思い

「当時は自分の感情よりも、とにかく申請を通してもらわないと、という思いだけでした」と語るめぐみさんが、父親の命を守るために、心身ともにボロボロに削られながら桐生市福祉課と対峙した壮絶な3か月間。仔細に残した当時の記録は現在につながっている。

 司法書士の仲道氏も「ありありと覚えていますよ」と当時を振り返る。乳飲み子を抱えためぐみさんが父親のために必死に動いていて、めぐみさんご自身が倒れてしまうのではないかと危惧したこと。そんなめぐみさんを福祉事務所職員が恫喝したり、騙したりしていたことを当時はにわかに信じられなかったこと。めぐみさんの生活や健康のためにも、とにかく父親を安心、安全な状態にするのを最優先したために、その後の追及をしなかったこと。

「悔やんでも悔やみきれない。あの時に訴訟を起こしていれば桐生市の福祉行政はここまで悪くならなかったかもしれないと思うと……」

 9年前に残した強い悔恨が、今の仲道氏の活動の背を押している。

 めぐみさんに本原稿を確認してもらうと、「父にもこの文章を読んでほしい。きっと救われる思いがするだろうな」と彼女はメールで返してくれた。桐生市に怒鳴られ、叱られていたお父様の尊厳を回復したい。祈りに似た強い思いを、筆者も抱いている。


小林美穂子(こばやしみほこ)1968年生まれ、『一般社団法人つくろい東京ファンド』のボランティア・スタッフ。路上での生活から支援を受けてアパート暮らしになった人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネイター。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで働き、通訳職、上海での学生生活を経てから生活困窮者支援の活動を始めた。『コロナ禍の東京を駆ける』(岩波書店/共著)『家なき人のとなりで見る社会』(岩波書店)を出版。