もがく聖子の一方、“元恋人”が…
歌うことが、聖子にとって傷ついた心を癒すということなのだろう。それはクラプトンも同じだった。
「クラプトンは自伝で、当時の苦しい気持ちを明かしています。自宅に引きこもり、アルコールやドラッグに溺れるようになるのではないかと周囲は心配していましたが、クラプトンはその悲劇を乗り越えるため、楽曲制作に打ち込み、'92年に『ティアーズ・イン・ヘヴン』を発表するのです」
しかし、クラプトンは'04年から同曲を歌うのをやめたことも。その理由は“喪失感”が消えたからだとインタビューで語っている。約10年にわたって、苦しみ続けたクラプトンも歌うことで癒されたのかもしれない。
「'13年ごろからは、クラプトンも同曲をコンサートなどで歌うようになったそう。年を重ね、思うところがあったのでしょう。聖子さんはファンクラブのイベントで、沙也加さんの話をして泣き崩れることもありました。気丈に振る舞っていますが、まだ苦しみのさなかにいるはずです」
最愛の娘がいなくなった世界でどう生きていくべきか、今も聖子はもがき続ける。
その一方、動き始めた人物がいる。沙也加さんの元恋人であった前山剛久だ。
「2月に前山さんがインスタグラムのアカウントを新規開設したのです。韓国らしき街並みの写真とともに《これから自分のやりたい事をやっていけたらと思います》と投稿していました。沙也加さん急逝の背景には、当時交際していた前山さんの浮気や沙也加さんに向かって暴言を吐いたことが原因だとする報道もありました。海外で再スタートを切るつもりなのでしょうか」(前出・スポーツ紙記者、以下同)
前山は'22年6月に当時の所属事務所を退社。誹謗中傷が相次ぎ、事実上の引退だと思われた。が、沙也加さんの死から1年後、突然ふたりの関係は良好だったとする一部報道が飛び出した。
「記事では前山さんの知人や俳優仲間らが、彼の近況を語っています。沙也加さんのお墓参りをしたいと、沙也加さんのマネージャーに連絡しても、返事がないそう。事務所を辞めてからは、貯金を取り崩して生活をしているとも書かれていました」