ドラマ制作の夢のため転職した先は……
俳優への道を諦めて、小さな広告代理店にコピーライターとして就職した森。
「バブル景気に浮かれていた当時、見たことも行ったこともないゴルフ場やリゾート施設の広告記事を書く仕事に違和感を覚え、半年で退社。次に派手なテレビCMで有名になった不動産デベロッパーの広告宣伝部に入るも合わず、1年ほどで大手商社の子会社に転職しました」
この会社、給与は良かったものの日がたつにつれ、映画や演劇をやっていたころの日々が思い出され、やっぱりどうしても諦めきれない。
結局森は、新聞で募集広告を見たテレビ制作会社に飛びつく。ところが入社初日、思わぬ失敗に気がついた。
「テレビドラマに携わる仕事がしたくて入ったはずの会社が、ドキュメンタリー系の番組を得意とする会社だと知りました。でも今さら辞められないし……」
このうっかりがきっかけでドキュメンタリーの門を叩くわけだから、縁は異なもの味なものである。しかし30歳の森にとってAD修業はそう簡単なものではなかった。
最初についた番組がタレントの海老名香葉子・美どり親子がタイと香港を旅する番組だった。
「空港でディレクターに“ベーカム(撮影テープ)何本持ってきたの?”と聞かれ“ベーカムって何ですか?”と聞き返し真顔で呆れられたこともありました。そのレベルで仕事をしていました。
その後もディレクターの編集について仕事を覚えろと言われても、そそくさと帰ってしまうから評判は当然よくない。ADを数本、経験するころには、社内ディレクターのほとんどが僕と組むことを嫌がり始めていました」
しかし森自身は、「この仕事、なかなか悪くない」と手応えを感じていた。
「香港ロケの最中、凶悪犯や脱走犯のアジトと恐れられた九龍砦の中で香葉子さんが迷子になり、ディレクターに言われて怯えながら探しに行くと、地元の老婦人たちと楽しそうにお茶を飲んでいたんです。
この仕事についてなかったら、九龍砦の中にもこんな普通の暮らしがあることを絶対に知ることもなかった。つまり、現実性に惹かれたんです。まったく興味がなかったドキュメンタリーだけど、少しだけ続けてみようかと思いましたね」
当時の森を知るテレコムスタッフの長嶋は、こう話す。
「バンダナ姿に色付きのメガネをかけた森さんは、ADにはまったく見えませんでした。会議でえらそうに発言するものだから“あんた何様ですか?”と言ったことがあります(笑)」
そんな森も2年余りでディレクターに昇格。ドキュメンタリー作家・森達也の快進撃は、いよいよここから始まる。