楽天家すぎた両親たちに節約を説いた少年時代

 カーリーの幼少期、少年期、世に出る前の青年期の物語、それらの御本人が語る逸話の数々は、他人が聞く限りでは、良くも悪くも波瀾万丈ではない。

 苦難に満ちたド根性物語などでもなく、本人にしかわからないさまざまな葛藤や苦悩はあったに違いないとしても、愛に満ちた親御さんに守られながら過ごした日々は、他人からはまるで古きよき時代のほのぼのとした思い出話だ。

 ちなみに、カーリーといえばスリムなイメージが定着しているが、子どものころは肥満児といっていい体型だった時期もあるという。40代のころには糖尿病を患うも、のちに、食事制限などで改善した。

不摂生から糖尿病になってしまったことも
不摂生から糖尿病になってしまったことも

 食事制限といえば厳しくつらいものと響くが、食事改善といえば健康的だし、まずいものを食べさせられる苦闘ではなくなる。実際にカーリーは、そこから健康的な身体に戻せただけでなく、美味な味をも追求することになり、料理上手としても名を馳せることとなるのだ。まさに、禍を転じて福となす。苦悩の種も、良き土壌と手入れで美麗な花となって咲き、美としてつむがれ人々を感嘆させる日も来るということだ。

 まだ何者でもなかった、やや風変わりではあっても普通の少年だったころ。何者かになりたくてなれず、勉学や友達関係、仕事などで挫折も経験しながら足掻いた時代。それらは多くの人に、自分と同じだなと共感を呼ぶはずだ。

 カーリーが華道の道を模索し、突き進み、認められるようになっていき、カーリーへと成長し進化していく時期は、「やっぱり我々とは違う」「まさに一気に花が開いたようだ」と感嘆させられるが。

 そこで「あっ、やっぱり幼少期からカーリーはカーリーだった」とも気づかされるのだ。

 役場勤めの、まじめで穏やかなお父様。専業主婦で、陽気で粋なお母様。

 ともに多趣味で、まさに美しいものが大好き、美味しいものが生き甲斐。普通に遊園地やレストランなどにも連れて行ってくれたけれど、神社仏閣巡り、博物館や美術館で、大いに美しいものに触れさせてもらえた。

 学校教育だけでなく、情緒を育む文化的な娯楽には、金を惜しまなかった。

 ただ御両親は貯蓄、不動産などにはあまり興味がなく、棟割長屋と呼ばれた二間ほどの集合住宅に住み、そこで満足していた。

 とことんお金は楽しいことに使い、家族のために使うものだったのだ。カーリー少年も、そこのところはわかっていた。

 家は小さくても庭があり、そこに園芸が好きな親は季節の花を咲かせていた。カーリーもチューリップの球根などを植えて育てる喜びも知り、母に託され庭に咲いたバラを学校に持って行くと、バラ一輪で教室が華やぐのも目の当たりにする。繊細で、情緒豊かな少年の成長を追う「カーリー物語」の始まりである。

 とはいえ、ここで「栴檀は双葉より芳し」と皆をしみじみさせるのが、高校生のカーリーが御両親を説教したというくだりだ。

「できるだけ無駄遣いをやめ、家を買うための貯金をしましょう」

 御両親は納得して息子に従い、煙草を減らしたりして、ちゃんと建売住宅を買うのだから立派だし、息子も立派だ。