上品な母が罵詈雑言を吐き夜中になると飛び出す

志奈枝さんの100歳の誕生日には各所から花が寄せられた
志奈枝さんの100歳の誕生日には各所から花が寄せられた
【写真】「痛々しい」番組でライオンに襲われ全治10か月の大ケガを負った松島トモ子

 商社勤めで香港に赴任していた父親のもと、現地のイギリス系女学校に通い、ペニンシュラホテルで社交界デビューをしたという志奈枝さんは、95歳のあの瞬間まで、絵に描いたようなレディだった、と松島は言う。

「家では母を“お母さま”と呼び、敬語で話すのが当然。“親に口答えなんてとんでもない”といった感じの母子でした。その母が、“こんな言葉、なんで知っているんだろう?”と思うような汚い言葉を吐いては、物を投げるようになったんです」

 “娘は私に何も食べさせない!”“こんな年寄りをいじめて楽しいのか!?”と怒り狂う。夜中になると家を飛び出しては、人目もはばからず“人殺し!”と叫ぶ。

「それが“徘徊”なんてレベルじゃなくて、“遁走”でした。母はマラソンの選手だったから足がメチャクチャ速いの。夜中だと私もよく見えないから、本当に危なくて」

 映画『エクソシスト』の悪魔にとりつかれた少女を思わせる形相で家具を押し倒しては、イスを投げつけた。

 当然、松島も公的支援を受けるべく介護要請をした。ところがやって来た認定士が下した判定は、最も軽い「要介護1」。

 介護認定のその日、志奈枝さんがソファに腰かけ、松島はその後ろに控えていた。認定士からの質問に志奈枝さんが、“お買い物にも自分が行く。お料理だって自分でできます”とすまして答える。

「後ろで聞いていて“ウソばっかり”と思うんだけど、母に口答えなんてできない私はさえぎったりできません。不思議なもので、相談員のような人が来ると、認知症の人ってシャンとするのね(笑)」

 “最も軽い認知症”と判定されてしまったから、治療薬もごく穏やかな漢方薬が処方されるだけ。志奈枝さんがレビー小体型認知症であると正しく判定、「要介護4」であると認定されたのは、しびれを切らした松島が医師の交代を申し出たからだった。

「ホッとしたし、よく効く薬もたくさん出たけど、今度は本人が薬を飲んでくれない。薬を飲んでくれるようになるまで1年半かかりました」

 認知症のなんとも切ない特徴に“最も近くで必死になってケアしてくれる人を憎む”というものがある。母一人、子一人の松島親子にとって、志奈枝さんの憎しみの対象は言うまでもなく松島だった。

「薬を飲ませようとすると、“毒を飲ませる!”と言って噛みつかれました」

 毎朝5時に起きては志奈枝さんのおむつを替える生活に、罵詈雑言と“遁走”、それに暴力が重なる。ストレスのあまり松島は過呼吸になって体重は7キロも減り、たった33キロになってしまった。ライオンの襲撃にも負けなかった、あの松島トモ子が、である。

 当然、周囲は心配し、ケアマネジャーも志奈枝さんの施設への入居をすすめた。だが松島はそれでも自宅介護の道を選ぶ。

「母が“施設には絶対に入らない! 施設に入れられるほど私は悪いことをしていない!”と断固、拒否しましたから。母がそこまで嫌だと言うならしょうがない」

 志奈枝さんにそう言われてしまうと、受け入れざるを得なかった。松島にはこの母に、返したくても返し切れない大きな恩があったからだった。