母・志奈枝の色褪せない存在感
志奈枝さんは旅立ったが、その存在感は今もなお、松島の周囲に色濃く残る。
松島のマネジメントのサポートを請け負う『まむしプロダクション』社長・千葉潤一さんも語る。
「コンサートの楽屋には、今でも必ず額に入れた志奈枝さんの小さな写真立てを持ってこられる。二人三脚でやってきたお母さまを、今でも、それは大切に考えているんだと思います」
競争の厳しい世界を75年生き抜き、今も現役を貫けるのは、芸能人としてのプロ根性ゆえ。室町さんいわく、
「写真を撮ると変な顔に写ったりするものですけど、トモ子さんはあの顔のまま。“カメラを向けられるとこういう顔になっちゃう”とか言って(笑)。プロとしての心構えが違うんですよ」
プロ根性といえば、1986年、松島はテレビ番組の撮影でケニアに『野生のエルザ』原作者の夫であるジョージ・アダムソンのもとを訪ね、ライオンに襲われた。“松島トモ子といえばライオン”を印象づけた、あの有名な襲撃事件だ。
首や太ももなどに全治10か月の大ケガを負ったが、そのわずか3日後には仕事を再開。別の野生動物保護区で今度はヒョウに襲われている。ヒョウに噛まれた位置があと1ミリずれていたら間違いなく死んでいた。生還は奇跡といわれた大事故だった。
「だってそのままで帰ったら、私はただライオンに噛まれに行っただけでしょう?
撮影って、時間もお金もすごくかかっているんです。撮影隊は何か月も前に前乗りしていろいろ撮影なんかもして、私を待っていたわけですし。だったら行くしかないじゃないですか。
またライオンのロケの依頼が来たら? ええ、やりますよ、私」
コンサートに、猛獣相手のロケにと、怯むことを知らない松島を支えるのが、“与えられたことを楽しもう”という前向きな姿勢だ。
「この仕事って、瀬古さんしかり、ジョージ・アダムソンしかり、いろんな人と出会えるでしょ。だからおもしろいといえばおもしろい。芸能界って嫌なこと、理不尽なこともたくさんあるところだけど、みんな楽しんじゃおうと思っています」
前出・千葉社長も言う。
「見られることで輝くのがタレント。ああいう人は辞めちゃうと老け込む。だから辞めちゃダメなんだと思います。あの年齢になっても仕事のオファーが来る。それって幸せなことだと思いませんか?」
もちろん本人もたそがれるつもりなんてみじんもない。
「これからまだまだいろんなことがたくさんできそう。77歳で引っ越ししたら、これがとってもおもしろかった! だからあと数回はしてみたいわね(笑)」
松島トモ子78歳、今なお現役。生涯現役。人生は山あり谷あり。でもトコトン楽しむものでもあるのだ。
私たちも負けずに頑張らなくっちゃ─!
<取材・文/千羽ひとみ>