身近な関係に大きな変化

 年が明け、第一関門である『センター試験』に臨んだが、東大の受験資格を得るために必要な点数が足りずに撃沈。番組の企画は『どこでもいいから一直線』に変更され、大学受験を継続することに。

「知識が増えていく喜びは快感でした。このころには、だんだんと英文が日本語みたいに読めるようになっていました。数学は最後までダメでしたけど……」

 最終的に8校に合格する快挙を果たし、日本大学への入学を決めた。しかし、大学には7年間在籍した末、結局は中退することに。

「入学して2~3年は仕事が忙しくて、大学にはまったく行けませんでした。朝から晩まで働いていましたから。仕事が落ち着いてきて、余裕ができたから学校に行こうと思ったのですが、なんせ入学当初のオリエンテーションを受けておらず、どうやって単位をとればいいかわからない。受験のときのようにケイコ先生がいれば教えてくれたんでしょうけど、もうそばにいなかったので……」

 とはいえタレントとしては大ブレイクを果たした。

「月収800万円から900万円ほどのときもありました。タレントとして売れることが目標でしたから、うれしかったです。なので『電波少年』には感謝しかありません」

 その一方、身近な関係に大きな変化も。

「家族とは縁を切っています。もう20年以上、連絡を取っていません」

 収入が増加した当時、最初は実家にお金を送っていたが、次第に金の無心が加速。数千万円を渡して、稼いだお金はほぼ手元から消えてしまったという。悩んだ末に家族と関係を断つことを決めた。

「母親は今、認知症になって施設に入っているようです。市役所から私に、母が施設に入るために後見人になってほしいと連絡があって知りました。私は心を鬼にして拒絶しました。後見人には弁護士がなっています。母に会えば情が出てしまう……。だからこそ縁を切らないと、自分もダメになってしまうと思って」