フィリピンと日本にルーツを持つ異色の力士・舛ノ山大晴関。昨年上梓した『母に捧げた運命の土俵』の中には、優しい表情が印象的な24歳の表情とは裏腹に、想像を絶する数々の困難が綴られていた。
過酷なフィリピン時代を経て、日本に帰国した舛ノ山関。力士として大成するために稽古の虫になったという。
「一生懸命、稽古をするのは自分にとっては当たり前のことで、朝起きて顔を洗うことと大差ないんです。負けたときはそれが自分の実力だと思って、すぐ前を向くようにします。
“稽古が足りないから負けた”って思うほうが、気が楽ですから。大相撲は、甲子園やオリンピックと違って2か月に1度行われる。常に強くなれるチャンスが巡ってきますしね」
2010年9月場所、20歳を目前についに十両昇進をつかみ取る。それまでにもフィリピンへ仕送りをしていた舛ノ山関だったが、関取になったことで大幅に額を増やすことができたという。
しかし、相撲の神様はまだ微笑まない。右足関節外側靭帯損傷、左足関節外側靭帯損傷。度重なるケガに加え、子どものころからの弱点であった“息がすぐに上がってしまう”原因が、心臓疾患によるものかもしれないと告げられる。
「ブルーな気分になることで、白星が増えたり、病気が治るんだったらとことん落ち込みますけど、そんなことはありえない。だったら、今できることを考えて実践する。靭帯損傷のときは、足が動かせないから体幹を鍛えていました」
マイナスをプラスに。名は体を現すかのように、大きく晴れ渡るような清々しい信念を持ち続けた舛ノ山関。
検査の結果、心臓疾患の疑いも晴れた。現在は稽古に加え、持久力を向上させるために水泳とウオーキングの自主トレを取り入れているという。まだ24歳。遊びたい気持ちはないのだろうか?
「インドア派なので、あまりないんです(笑い)。休みの日は、部屋でゴロゴロして、テレビやYouTubeを見ていることが多いですね。番組だと『すべらない話』(フジテレビ系)が好きです。好きな女優さんは、志田未来さんかな」
まだまだあどけない表情の残る笑顔は、土俵の表情とは別人。 「フィリピンでは15人家族の中で過ごしていたからか、十両に上がってからも個室に入らず、みんなと大部屋で寝食をともにしていました。
でも、最近ついに個室に移って……。寂しくて、夜も電気やテレビをつけたまま寝ているくらい。にぎやかなのが好きなんです(笑い)」
取組で見せる力強い押し相撲とは対照的に、素顔の舛ノ山関はとてもシャイ。
「かわいいって言われるよりもカッコいいって言われるほうがうれしいですけど(笑い)、応援していただけるだけで本当に励みになります。
豪快な速攻相撲を取って、見ている方にスカッとしてもらえたら本望です。自分も含め、若い力士が台頭することで、少しでも相撲人気に貢献できるように頑張ります」