42年前に
モロッコで性転換、11年前には戸籍上でも女性に。すべてにおいてのパイオニアかつ伝説ともいうべき存在がカルーセル麻紀さん。破天荒すぎる生きざまや性の遍歴を語ってもらった。
北海道での放浪生活を経て、大阪に辿りついたカルーセルさん。現在の芸名は、当時働いていた店名から。
「大阪の『カルーゼル』はそれまででいちばん楽しいお店だった。自己プロデュースをしないとお客さんが取れないから、どこにでも迎えに行くサービスなどを考えたわ。おかげさまで評判になって、業界の方の指名も増えるようになったの。そこで出会った放送作家さんに、舞台にダンサーとして出てみないか? って誘っていただいて、飛びついちゃった! 芸名が必要だからって、『カルーゼル』で働く麻紀……カルーセル麻紀の誕生ってわけ」
心身共に女性になったのは、初舞台のため。
「当時から、ホルモン注射を打っていたんだけど、睾丸があるから、身体は男性的なまま。ダンサーとして初舞台を踏むからには女性らしい身体が欲しかった。結局、新歌舞伎座の裏手にあった性病の病院で、手術費用3万円をかけてタマタマを取ってやったわ! 恐れていた“男”の兆候は消え去り、どんどん女性らしい身体になっていくからうれしくてね。でも、手術した部分が膿んでしまってね。舞台では急きょ、傷口を普通のホッチキスでとめて踊ったものよ」
カルーセル麻紀誕生も、当時は芸能界への憧れはなかったとか。
「だって、私の夢はゲイボーイになることだったんだから。母に言われた“一流”を目指し続けた結果、今があると思っているのよ。“自分の道を究める”。その気持ちは何事にも大事なんですよ」