和歌山県でカフェを営み、ブログのアクセス数が月間300万を超える人気料理家のMizuki。このたび初のレシピ本を発売した彼女には、10年間にわたる拒食症との闘いがあった。壮絶な闘病生活、家族との葛藤、そして、料理に込めるひたむきな思いを聞いた。
「今でもこの本を出せたことが信じられないんです。だって、5年前は死にかけていましたから。あきらめないでよかったなと本当に思います」
和歌山県で『31CAFE』を営む料理家のMizukiこと林瑞季さん。昨年11月に発売したレシピ本『Mizukiの31CAFEレシピ』(扶桑社)はAmazon料理本ランキングで1位に。“奇跡のキッチンから作り出されたおいしいレシピ”として注目を集めている。
「高校生のときから約10年間、摂食障害を患っていました。それまでは健康で食べることも大好き。誰とでも話す明るい性格でした。でも、極端なところもあって。普段は勉強なんて全然しないのに、テストだけはいい点数をとりたくて、試験の3日前から徹夜で勉強していました」
過度な追い込みがたたり、うつを発症。そこへ家庭でのストレスものしかかる。
「1日の中で晩ご飯の時間がいちばん嫌いでした。共働きの両親は、夕食の支度が遅いという理由などで毎日ケンカ。会話などなかったです」
両親の争いをなくすために、瑞季さんが食事を作ることに。これがきっかけで、どんどん料理が好きになっていくが、別の感情も生まれた。
「“食へのある種の執着”が芽生えました。体重を減らしたくて食べなくなったんです」“食への執着”とは“テストへの執着”と同じ感覚。共通するのは“数字への執着”で、摂食障害の患者に見られる典型的な傾向だ。瑞季さんも「やせたいのではなく、体重という数字が減っていくのがうれしかった」と振り返る。‘03 年から始まった拒食の兆候は、‘04 年に脳梗塞を患っていた祖母の死をきっかけに、急激に悪化する。
「連絡を受けて祖父母の家へ行くと、まだ鍋に火がかかっていたんです。それくらい突然でした。ショックのあまり、母も体調を崩しました」
余波は瑞季さんにも及ぶ。固形物を受けつけられず水分しか口にできなくなった。
「食べ物を出されても“これは私のじゃない”と脳が切り替わるんです。それに“太らされる”環境をつくらないように必死でした。だから、家族の食事を作り続け、病院へ行くのは拒否していました」
次第に寝たきりの生活となり“死にたい”“消えたい”という気持ちも増幅。明らかに異常、でも“理解者”がいた。
「母が“胃痛だけ”という言葉を信じてくれて、長期の入院を避けられました。母も感覚がマヒしていたんでしょうね。互いに依存していました」
‘09 年の夏にいよいよ限界が訪れる。胃痙攣を引き起こして緊急搬送された。そのとき身長162㎝で体重は23㎏。
「運ばれた病院には拒食症の治療に必要な心療内科や精神科がなかったんです。だけど先生が“いま動かすと死んでしまう”と言って、そこで“延命治療”をしました」
医師によると、23㎏まで体重が落ちてしまった場合、3人のうち1人は回復し、1人はそのままの状態が続き、1人は死に至るそうだ。彼女は運よく助かったものの、決して喜びはしない。
「それどころか、入院したから太らされる、お医者さんや看護師さんは“敵”と思っていました。“動いたら死ぬ”と言われたのに、翌日に体重を減らしたくて歩いたくらい。でも、転んでしまい、1年間は車イス生活でした」
入院中は高カロリー点滴に何種類もの薬を服用。血の成分を確認する骨髄穿刺や、血小板を補うための大量の輸血などを行った。その結果、同年12月には27㎏に。ただ、体重を減らしたい気持ちは一向に変わらなかった。
「食べるフリをして無理やり退院したんです。だけど、両親は離婚。幼い弟2人も親戚に預けられていました。それからまた食べなくなり、1か月後には23㎏に戻りました」