離婚していきなり生活が荒れちゃった

 糖尿病治療で求められるのが食生活の改善。遺伝に加え、暴飲暴食の自覚はあった。

「当時は結婚していたので、奥さんが野菜中心のスープを作ってくれていましたね。コンソメだったり、ミネストローネだったり、シチューにアレンジしたり。なのであのころが一番数値は落ち着いてました。でも離婚して、いきなり生活が荒れちゃった(笑)」

 通院はサボリがちで、「これ以上ウチでは面倒見きれない」と2か所の病院で見放されてしまう。合併症で糖尿病性腎症も発症した。いつしか病気は進行、48歳のとき、ついに透析をスタート。以来週に3回クリニックに通い、1回5時間の透析を続けてきた。

 週15時間ベッドに拘束を余儀なくされ、諦めた仕事も多い。

「泊まりでの営業は行ったことがないですね。一度新潟の講演会の依頼があって、受けようと思ったけれど、どうしても透析日とかぶっちゃう。難しそうだと伝えたら、向こうが“わかりました。じゃあ透析もつけましょう”と言い出して。初めてのアゴアシ・透析つきの仕事です(笑)。ただ残念ながらこれは実現しなかったけれど」

 心筋梗塞の手術後は、改めて食生活の改善に努めた。効果は顕著に表れ、透析も1回4時間に減少。今は優良患者だと胸を張る。

「食べるものには気をつけています。遅いといえば遅いんですけど。身体にいいと聞いて、豆腐と納豆ばかり食べていたら、1週間で4kgくらい落ちて。

 糖尿病が悪化したのかと思って、ドキドキしましたね。透析の先生に“ちゃんと食べられていますか”って聞かれて、“納豆と豆腐だけにしています”と言ったら、“極端すぎる”って叱られました(笑)」

 現在は外食は控えめに、1日1800kcalを目安に節制中。それでも食べたくなってしまったときは?

「心臓が止まったときのことを思い出すようにしています。命に関わったので、さすがにこたえた。やっぱりあれにはかえられない。我慢しようという気持ちになります」

 舞台にも無事復帰した。浅草の演芸場『東洋館』をホームグラウンドに、週3回の透析を続けつつ、ライブ出演を敢行している。

弟子になって初めて師匠に褒められた

 『東洋館』といえば、師匠・ビートたけしの原点だ。透析を始めた当初、師匠から『夏目亭透析』の芸名を与えられ、寄席の際はその名で高座に上がる。

「弟子になって初めて師匠に褒められたんですよ。“たけし軍団で今人前に出てネタやってんのおまえだけだもんな”って言われて、それがすっごくうれしくてね。

 ただ“50歳過ぎてテレビから演芸場行くのおまえくらいだな。普通は逆だよなぁ”とも言われましたけど(笑)。

 いつか師匠が見に来てくれたらうれしいですね。年明けも『東洋館』に出る予定。なんとか今回生き延びたので、もうちょっとこの世界にいられたらと思っていて。ただ、これからの漫談は、間違いなく病気ネタが増えてくるでしょうけどね(笑)」

<取材・文/小野寺悦子>