6位は、漫才ブーム前夜の『花王名人劇場』(フジテレビ系)で頭角を現したあの女性コンビ。
「今は亡きおふたりですが、テレビに映るだけで明るく楽しい気持ちになった。アップテンポの漫才が大好きだった」(新潟県・51歳・女性)
「女性漫才師の新しい道を切り開いた」と増田さんも話すように、今いくよ・くるよの功績は計り知れない。
下積み生活が続いたが、『花王名人劇場』で、くるよがお腹を叩くパフォーマンスをしたところ大ウケ。
以降、派手な衣装と「どやさ」に代表されるギャクが定着し、女性芸人の新しい道しるべとなった。
そして5位に選ばれたのが、「個性豊かな人の集まりで、ミュージシャンとしてもコメディアンとしても一流」(東京都・76歳・男性)などの票が集まったクレージーキャッツ。
お笑いもできるミュージシャン
戦後、在日米軍のキャンプを回って演奏していた彼らは、言葉が通じない部分をパントマイムやコメディーでカバー。その経験が、音楽+喜劇という唯一無二のパフォーマンスを生み出し、後のザ・ドリフターズへとつながる。
「トップ10に選ばれている芸人さんはもちろん、昭和の芸人というのは怒号が飛んでくるような状況で腕を磨いてきた人。キャバレーやストリップ劇場などアウェーの場所でも、客を笑わせる技術や度量が求められた。基礎体力という意味では、お化けみたいな人たちばかりだと思います」

4位は、まさにストリップ劇場から羽ばたいた漫才師だ。
「毒舌チックなタブーを破る漫才は常識破りだった。異常なほどテンポが良く、ワードセンスも抜群だった」(埼玉県・63歳・男性)
漫才ブームと呼ばれる期間の1980年から1982年当時、まだ関西で学生だったという増田さんは、「関西ではそれほどツービートは受け入れられていなかった」と語る。
「吉本の林正之助社長(後に会長)は、『吉本は箱根の関を越えられない』と話していた。
吉本の笑いが東京に受け入れられることは難しいし、逆に東京の笑いが関西で受け入れられることも難しいと。『オレたちひょうきん族』などの影響で徐々に壁がなくなり、ダウンタウンの登場で箱根の関は取り払われた。
また、たけしさんは毒舌と受け取られがちですが、正論をぶつけ続けてきた人だと思います。社会の代弁者だからこそ、時代の寵児(ちょうじ)になった」