この歌詞で世の中のおじいちゃん、おばあちゃんたちのハートをわしづかみにした大泉逸郎。山形県のさくらんぼ農家の男性が、『孫』の大ヒットでNHK紅白歌合戦のステージまで駆け上がった。
「孫が生まれてうれしくて、それなら孫の歌を作ろうと思ったんだ。それで、荒木良治さんに詞を作ってもらい、自分で作曲して歌ったのよ」
‘94 年に自主制作盤を出すと、地元を中心にじわじわと人気が広がりはじめ、’99 年にテイチクレコードからメジャーデビュー盤『孫』を発売。累計240万枚という爆発的な売り上げを記録したのだ。
「あのころは忙しくって、紅白だなんだって、あっという間に駆け抜けていったなあ。どこに行っても、大泉逸郎っていうより“あ、『孫』が来た”って言われますもん。孫の歌で認知されていますから、そういうふうにみんなに言われるのはうれしいですよ」
そんな大泉の孫は現在、20歳に。山形から東京の大学に進学し、ひとり暮らしをしているという。
「背が伸びてなかなかカッコいいのよ。今、ひとり暮らしだから、自炊しているでしょ。お米とか野菜とか送るんだけど、その中にお金なんかそっと入れたりしてな。孫はひとりだし、そりゃ、溺愛ですわ。親にピンチだって言わないけど、ばあちゃんには“助けて”って言ってくるんですよ。ばあちゃんが2万円なら、こっちはそれ以上にあげなくちゃいけないでしょ。だって、孫を利用して大ヒットさせてもらったから、孫に小遣いあげないといけないのよ(笑い)」
今でも『孫』を歌うと、やっぱり孫の姿が浮かんでくるそうだ。そんな、大泉の心配事といえば、彼の就職先だ。
「別に農家を継いでくれなくてもいいから、山形の目の届くところで就職してほしい。あと2年で就職だから、小遣いをやって、振り向かせるのが関の山。でも最近、オレのことに関心があるんですわ。バイト先とかでも、“あの歌のお孫さんですか?”って言われるらしいんですよ。山形県出身で大泉という名前だと、まさか? って聞かれるみたいですね」
歌手としてブレイクしても、さくらんぼ農家であることは変わっていない。農作物の手入れのため、ステージが終わると、すぐに自宅に戻る生活をしているうち、’11 年に脳梗塞に見舞われる。
「震災の年で40日以上、入院しました。言語障害はなかったんですが、バランスの障害が今も残っているんです。フラつくんですよ。まっすぐ歩きなさいって言われても、ちょっとずつズレていく。だから、暗いステージで階段を下りるときは、怖かったなあ。今はショーのときも少し明るくしてもらっているんです。でも、歌うことにはまったく問題ないのは本当によかった」
5月20日には新曲『爺の海』が発売される。これは福島県双葉町で被災された方が作詞し、それを大泉が作曲して歌ったものだ。
「山形は大きな被害はなかったのですが、妻の実家は南相馬だし、被災地はやっぱり身近なんです。そんな中で、この詞に曲をつけてほしいと依頼が来たので、簡単な伴奏に歌を吹き込んだCDを届けたんです。それが、口コミで広がり、発売するに至った。だって、歌詞に出てくる港は、もうないですからね。『孫』で有名にしてもらったけど、そういう意味では、今度の曲は特別な1枚ですよ」