「この地域には、結婚した後にお嫁さんを近所の人にお披露目する習わしがあるのです。でも、聖子さんのときはそれをしませんでした。お舅さんが“大騒ぎになったら、みんなに悪いから”と配慮したそうです。でも、お姑さんは社交的な人で、地域の会合なんかで“聖子ちゃんからお歳暮が届いた”とか、“ウチに来たとき素敵なワンピースだった”とか、“息子のお弁当は聖子ちゃんが作ってくれているのよ”なんて教えてくれました」(近所の主婦)
しかし、河奈氏の父は、そんな地元の人たちの聖子に対する興味本位な質問には、息子たちを気遣ったからなのか、何も話さなかったという。
「お父さんが亡くなった日、長男である河奈さんは海外にいたそうですが、翌日の夜に実家に戻ってきていました。葬儀業者との打ち合わせは、お母さんと河奈さんと弟さんでしたそうです。弟さんのお嫁さんも来ていたのですが、お亡くなりになった数日間は聖子さんの姿はなかったようです」(親戚のひとり)
本誌が河奈氏の実家を訪ねると、玄関には青地に黄色の文字で《忌》と書かれた垂れ幕が下がり臼の絵を描いた半紙が横にして貼られて“喪”を表していた。近所に話を聞いてみたが、河奈氏の父が亡くなったことを知らない人も少なくなかった。自宅のインターホンを押して聖子の話を聞こうとしたが、「留守を預かる人」が取材には応じられない旨を答えてくれた。
「みんなが頼りにしていた獣医でしたし、河奈さんのお父さんほどの方がお亡くなりになったら、地元新聞にはすぐにお悔やみが出ると思うんです。でも、それがなかったのは、聖子さんが来たとしても再び騒がれないようにしたのかもしれませんね」
聖子と河奈氏との結婚直後、義父は週刊誌の直撃取材にこう答えていた。
「べつに親が出る幕でもないし、お互いにもう大人ですから任せていますよ。2人が幸せになってもらえたらいい」