「夕方、突然アナウンスが流れたんです。“18時15分より、小沢健二さんの演奏会を開催します。館内にいるお客さまも観覧いただけます”と」(40代の女性客)
岡崎はスタイリッシュな画風とは対照的に、都市に生きる少女の日常や変容する家族像、女性の欲望や不安といったリアルを描き続けてきた。’12 年には、彼女の代表作のひとつ『ヘルタースケルター』が、沢尻エリカ主演で映画化されている。
個展最終日の2日前に突然、小沢健二のライブが行われたのには、長年にわたるふたりの絆があった。
‘80~’90年代の“TOKYOカルチャー”を牽引し、文学・思想の分野からも高く評価されていた岡崎京子。そんな絶頂期を迎えていた’96 年、悲劇が襲う。
「ご主人と自宅近くを散歩中に飲酒ドライバーにはねられたんです。頭がい骨を骨折して意識不明になり、自力呼吸もできない状態でした。現在は回復しているものの療養中で執筆活動も再開できずにいます」(カルチャー誌編集者)
岡崎はフリッパーズ・ギター時代から小沢の大ファンで、“私の王子様”と公言。ふたりは雑誌の企画などで交流を深め、影響を与え合う関係となっていた。事故直後、小沢は急いで病院へ向かっている。
「知らせを受けて岡崎さんが入院する病院に駆けつけ、家族以外は面会謝絶なところを“家族です”と言い張って病室に入ったそうです。“僕は彼女の王子様だから、どうしても行かなければ”と言って」(レコード会社関係者)
岡崎がリハビリに励むようになってからも、交流は途絶えなかった。’10 年に行われた小沢の13年ぶりの全国ツアーでは、東京公演の初日に特別な席が用意された。
「曲をすべて歌い終えた小沢さんが観客に挨拶していたとき、急に涙ぐんだんです。客席前方を指さして“これ言っちゃうと泣いちゃうんだけど……、岡崎京子さんが来ています”と話しました」(前出・レコード会社関係者)
世田谷文学館でのライブも、岡崎に聴かせるために企画されたものだった。
「ライブの様子をDVDに録画して岡崎さんに送ろうと考えたんです。彼女と親交のある関係者だけを入れて演奏してもよかったんですが、岡崎さんを思う気持ちは展示会に来たお客さんも同じですから、一般のお客さんを入れることになったんです」(前出・レコード会社関係者)