2月1日、イスラム過激派組織「イスラム国」にジャーナリスト・後藤健二さんが殺害されたことを受けて母、石堂順子さんは、午前9時40分から東京都内の自宅で会見し、「あまりにも無念の死を前に言葉がみつかりません。今はただ悲しみに涙するだけです……」と語った。

 1月29日深夜11時半過ぎ、まだ後藤さんが殺害されたことが分かる前のこと。母は、東京都小金井市の自宅に報道陣を招き入れていた。すると報道陣から「健二さんが無事に戻ってくることを願っているか」と質問が出た。

 石堂さんは「もちろんです!」と即答したあと、

「申し訳ございません、それを親に聞くのは愚問ではないでしょうか? 私も親です。非常に危険を感じております。みなさま以上に心を痛めております。祈っております。だからこそ、こうしてお願いしているのです」

 最初の脅迫動画が公開されたのは20日のこと。人質に取られた後藤さんの実母・石堂さんは、周囲の反対にも屈せず会見し、息子の命を助けてと実直に訴えた。

 イスラム国側が予告した殺害タイムリミットの「現地時間日没まで」が過ぎた時間帯だった。質問に怒ったわけではない。穏やかな口調だった。しかし、本誌記者は、母親の瞳の奥の静かなる闘争心をはっきりと見た。

 最初の脅迫映像が公開されたのは1月20日。その3日後にあたる1月23日午前、時間切れの数時間前、石堂さんは初めて会見してテレビカメラの前で健二さんの救出を訴えた。会見に反対する周囲の声を振り切ったという。涙をふき、鼻水をすすって声を絞っていた。

「私の命などどうでもいい。私はよい頭を持っていないのでみなさんのお知恵を借りたい。健二はイスラム国の敵ではありません」

 そして石堂さんは28日、安倍首相らに面会を求めた。対面はかなわなかったが、永田町で会見して救出を訴えた。ベテランジャーナリストは「母親は強い」として次のように話す。

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ときに話が脱線することも。しかし、解放を祈る気持ちは強く一貫していた

「“自分の命と引き換えに……”と繰り返すのは本音だろう。一部メディアに批判的ともとれる記事を書かれても、石堂さんには排除しようという発想はない。無力を感じて、ひとりでも多く味方につけたいのではないか」

 石堂さんはヨルダン政府とイスラム国側の人質交換交渉が進んでいないとみられることについて30日、「残念ですね」と言った。

「どのようにしたら(交換するという)お約束を守っていただけるか。こちらだけギブアップしたら、弱い国に見えてしまうと思います。相手の方々がお約束を守る保証がない」(石堂さん)

 会見が終わりにさしかかったころ、石堂さんはふいに立ち上がり報道陣ひとりひとりの手を握って言葉をかけた。

「危ないところに行っちゃダメよ。お母さんが泣きますから」

「嫌わないでね。近くまで来たら“おばちゃん、お寿司食べに行こう”とか誘ってくださいね。経費はこっち持ちで。頑張りましょう!」

 本誌記者が「ゆっくり寝て、ちゃんとごはんも食べてくださいね」と声をかけると、「ありがとう。何か相談事があったらおまかせください。オールオッケー!」と目を輝かせていた石堂さん。しかし、なぜ彼女は明るく振る舞えていたのか。

 前出のジャーナリストは言う。

「事件と関係ない原子力の話を持ち出したり、必要以上に陽気なのは無意識の行動だろう。母親としては、そうでもしないと精神のバランスを保てないのではないか」