夕方4時。神奈川県営『いちょう団地』の小規模な商店街にあるアジア食品店『シーワント』は客が途絶えない。レジに並ぶ女性が手にしているのは、フォーやビーフン、パクチーといったエスニック食材だ。
「客の多くは外国人。特にベトナム人が多いです。日本人は3分の1くらいかな」
そう流暢な日本語で話すのは、店主の上原富男さん。カンボジア出身で、33年前にインドシナ難民として家族と来日。埼玉県さいたま市や神奈川県小田原市の会社で働いたのちに帰化し、8年前に食品店を始めた。
神奈川県横浜市と大和市にまたがるいちょう団地は、高度経済成長期に建てられた巨大団地。現在、2238戸のうち530世帯強を外国にルーツを持つ人たちが占めている。
’80年にインドシナ難民を支援する定住促進センターが大和市に開設され、同センターを出たベトナム、ラオス、カンボジアの人々がこの団地に住み始めた。’90年代には、中国残留孤児の帰国者が入居。その後、家族の呼び寄せや、アジアや南米からのニューカマーらが加わり、外国人は年々増加。今では20か国超の人が暮らしている。
「ほら、チョコレート」
店にやって来た小学生3人に日本語で話しかける上原さん。ピンクのランドセルを背負った女の子たちは全員ベトナム人だという。
団地の子どもたちが通う横浜市立飯田北いちょう小学校では、インターナショナルスクールでもないのに多国籍・多民族の児童が机を並べている。
言葉の習得が早い子どもたちに対して、大人の外国人は“日本語”に嘆く。日本は、外国人のための日本語教育や、通訳・翻訳といった支援が決して厚くない。
前出の上原さんは「大和市の難民センターで3~4か月ほど日本語を学び、あとは、土日にボランティアの人に習った」そうだ。
「この店は言葉が通じるからこそのコミュニケーションの場でもあるんです。日常生活の相談をされたりしますね」(上原さん)
買い物に来ていた、バングラデシュ出身のビスワス・ジジトゥさんは、夫の留学に伴って来日し、今年で9年目。「この団地の生活は楽しいですね」と満足しながらも、悩みはやはり「日本語。難しい~」と笑う。
「入管やパスポートの更新、出産の書類など、字が読めなくて苦労しました」
と当時の苦労を語るのは、13年前にオープンしたベトナム料理レストラン『サイゴン』の店主、グェン・バン・トアさん。30年前から日本に住み、日常会話には不自由しないが、込み入った話は少し苦手だ。
「日本に来たときに3か月ほど日本語を学びましたが、その後はずっと働きずくめで勉強する時間はありませんでした。言葉が通じず、寂しい思いやつらいこともありました。子どもたちには“パパの日本語、わかんないよ!”と言われたり、書き文字が苦手なぶん、学校の書類を音読してもらったりして。苦労をさせてしまいました」(グェンさん)