とうとう決着がついた大塚家具の“父娘バトル”。過去を見てみると、あの企業でも似たような解任劇があったり、芸能界でも親子の確執が取りざたされたりと、お家騒動は珍しいことではない。
‘13 年3月に母・坂口良子さんを亡くした坂口杏里は、義父となった尾崎健夫にすぐになじむことができなかった。
「杏里さんはずっと尾崎さんのことを“オジサン”としか呼べなかったそうです。大好きなママを取られてしまうと感じて“出て行け”と言ったことも。わだかまりがとけたのは、坂口さんの病気がわかってからだそうです。やっと“パパ”と呼べるようになりました」(記者)
杏里はインタビューで「小峠英二と付き合いだしてからは、あまり電話に出てくれなくなった」と話している。娘が男と付き合うのを嫌がるのも、父親としての感情が強くなったからだろうか。
最も深刻な苦痛を味わうのは、あまりにも有名な母を持つ娘かもしれない。それが松田聖子であれば、悩みの深さは尋常ではないだろう。神田沙也加は1月に出版した著書で、私生活でも芸能界でも生きづらかったと告白している。
《中学校は正直つらいことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました。(中略)寮ではすさまじいいじめが待っていて。寮生活でのいじめって逃げ場がないんですね》
下着を盗まれたり、布団を濡らされたこともあったそう。
「学校をやめないために、血のつながらない親戚の家から通ったこともあったそうです。母親のもとに帰りたくても聖子は“ビビビ婚”をした歯科医師と離婚したり、原田真二と逢瀬の報道があったり、スキャンダルのさなかにいました」(ワイドショースタッフ)
偉大な母を持ったことで、用意されるステージに実力が伴わないことがつらかったとも記している。『アナと雪の女王』でブレイクして少しは気持ちに余裕が出たはずだが、少女時代を振り返ると悔しい思いは残るようだ。
《ずっとそばに居続けてくれる人と結婚して、姓を変えて、変わらない家族を持って、子供を産んで。そういう生活が欲しかった》