ギャラクシー賞とはすぐれたTV・ラジオ番組、放送文化に貢献した人・団体を表彰するもので、今年で52年目。そのDJパーソナリティ賞に中国放送の横山雄二アナウンサーが今年、選ばれた。

 横山アナウンサーは、言わずもがな広島で1、2を争う有名なアナウンサーだ。

 いまも『平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま』(月曜~金曜 9:00~11:30)、『ザ★横山雄二ショー』(毎週土曜日 22:00~22:55)のMCをともに10年以上務め、予測不能の本音トークを炸裂させている。

 昨年8月、広島土砂災害が発生したときに番組を一緒にしている泉水はる佳アナウンサーとチャリティーソング「広島の空」のCDをリリース、売り上げはすべて市に寄付した。東日本大震災復興支援チャリティーイベント「ヨコヤマ☆ナイト」を自ら毎月主催、4年間で1000万円の義捐金を集めた。

 それらもみな、ラジオを通じて行っている。

 ボクも同じ中国放送のラジオで長年、番組を持たせてもらっていたので、横山アナウンサーのことはよく知っている。それどころか、2007年4月から3年間、同じ中国放送のテレビで『Eタウン』という番組もご一緒した。横山さんの根底に流れているのはラジオという媒体であるのであろうが、売れっ子なので、テレビも受け持つのは当然だ。

『Eタウン』では東京モーターショーに一緒に行ってレポートもしたが、いつでも疑問がたくさん。返しがときには芸人のように、ときにはするどいジャーナリストのように、スッパッとくる。ジャストポイントの間合いでやってくる。

「さすがプロだ」って、当たり前だが、その当たり前の言葉が出てくる人だ。

 毒舌ではあるが、プロ中のプロなのだ。

 横山アナウンサーといえば、有吉弘行さんの売れない時代を支えたことも、広島ではかなり有名だ。売れなかった時代、有吉さんは財布も持たないで、広島に新幹線でやってきたという。

 広島出身の有吉さんは猿岩石で大ブレイクして、いまの再ブレイク前の数年間はまったく仕事がなかったと話すことが多い。だが、実は横山アナウンサーが立案した深夜番組『KEN-JIN』だけは長く、レギュラー出演していた。『KEN-JIN』は有吉さんと同じ事務所の劇団ひとりさんもブレイク前にレギュラー出演していて、3人で「KEN-JIN BAND」というユニットで全国ネットの『うたばん』にも出演した。

 2012年には映画『ラジオの恋』に主演。'14年にはRCCテレビドラマ「浮気なストリッパー」の監督・脚本までやってしまう多才ぶりだ。

 けれど、やっぱりラジオ人の血が流れているんだろうなあ。ギャラクシー賞の受賞でやっぱり、そう思った。

 おめでとうございます。

左は元中国放送アナウンサー、藤村伊勢さん。2007年4月から2010年3月まで『Eタウン』で共演。横山アナウンサーがMCで神足氏がコメンテーターだった。横山アナウンサーの降板後、神足氏が『Eタウン』のMCを務めることになった(写真提供/中国放送)
左は元中国放送アナウンサー、藤村伊勢さん。2007年4月から2010年3月まで『Eタウン』で共演。横山アナウンサーがMCで神足氏がコメンテーターだった。横山アナウンサーの降板後、神足氏が『Eタウン』のMCを務めることになった(写真提供/中国放送)

〈プロフィール〉

神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari