「水で薄めた母乳を売るなんてひどい! お腹を痛めて産んだわが子を、母乳で育てたいという母親心理につけ込んだインチキなビジネスは許せません」
と神奈川県在住の1児の母親(36)は憤る。そんな詐欺まがいの商法を毎日新聞が7月3日、スクープ報道した。主な内容は以下のとおり。
都内に住む30代の女性は第1子を産んだが、母乳がほとんど出なかった。周囲から、「粉ミルクでも立派に育つ」とアドバイスされても、納得できない。そこで母乳が出やすくなるというハーブティーを買い込み、助産師にマッサージしてもらうなど努力したが、それでも飲める量には至らなかったという。
《出来そこないの母親。母親失格》
と自分を責め、落ち込む日々。そんなとき、知人から紹介されたのが、"新鮮な母乳"をインターネットで通信販売しているという業者。伝統的な"もらい乳"をビジネス化したものだった。
同紙は現物を入手し、専門機関で検査・分析してもらったところ、栄養価が母乳の半分程度しかなく、粉ミルクと水で薄めたとみられる偽物と判明。通常の母乳と比べて細菌量は最大1000倍だったという。つまり、危ない偽母乳が流通していたことになる。
毎日新聞の担当デスクは、
「新鮮な母乳を求めたお母さん方の信頼を裏切る許せない行為。しかし、安全の基準値を超えるようなものを取り締まる法律がない。だから、詐欺まがいで危ない母乳ネット販売の実態をぜひ、みなさんに伝えなければと思った」
と報道した動機を述べる。
同紙は、母乳をネット販売する8業者を把握したという。しかし、本誌が関連キーワードで検索をかけたところ、1業者しかヒットしなかった。どうやら新聞報道に慌ててホームページ(HP)を閉鎖するなど、商売を中断したようだ。
唯一、検索にヒットした東京都三鷹市にある業者の住所地を訪ねた。そこにあったのは築40年ほどの古いアパート。住人や周辺住民らに聞き込みをしても、それらしき業者は見当たらない。冷凍母乳の買い取り、販売に宅配のクール便を頻繁に利用しているはずだが、目撃情報はなし。やっと大家さんを見つけて、話を聞くことができた。
「あのアパートには11世帯が住んでいるけど、なにしろ古いアパートだから、お年寄りばかり。母乳をネット販売している人なんて、まったく心当たりはありません。そもそも危ないに決まっている。アパートの住所にされているのは妙な話だねぇ」と怒る。
ケーキの隠し味に母乳はいかが?
この業者はHPで、
《母乳は人の命の源です。赤ちゃんは母乳を通し、母親から栄養のみならず様々な免疫力を蓄えています。母乳とは、赤ちゃんはもちろん、子どもや大人にとっても素晴らしい飲料なのです》(原文ママ)
とPR。販売価格は、母乳が出始めてから6か月の"商品"が50ミリリットルで1200円。同12か月だと800円。初乳から期間が短いほど高値となる。買い取り価格は不明だが、"6か月モノ"ならば500ミリリットル入りペットボトル満タンで1万2000円の価値になる。助け合いというよりも、アルバイト感覚の提供者が出てきてもおかしくない。
この業者はツイッターでも、
《関東は雪が凄いですね。こんな時には、ホッと身体の芯から温まる母乳が一番です》
《もうすぐクリスマス。ケーキの隠し味に母乳はいかがでしょう》
などと妙な売り込みをかけていた。昨年12月を最後に更新は途絶えている。
この業者は毎日新聞が入手・分析した母乳の販売業者とは異なる。しかし、アパートの一室で安全・衛生面で問題のない商品管理はできたのだろうか。品質を確かめたくても消費者には分析のしようがない。安易に同類視できないが、同紙が検査依頼した母乳は、レンサ球菌など3種類の細菌量が一般的な母乳の100~1000倍だった。
同紙の依頼で検査・分析に当たった昭和大学江東豊洲病院・小児内科の水野克己教授は「ひと言でいうなら、ずさんなやり方と言うしかない。搾乳や保管の仕方がね」とアキレ顔で振り返る。粗悪品をつかまされないためにも、"母乳じゃなければダメ!"と思い込むのはよくないという。
「母乳が出なければ、出るだけのものを粉ミルクに混ぜて与えればいいのです。もちろん、母乳がいいことは間違いないが、粉ミルクだって昔と比べれば、品質が格段に向上していますからね。栄養障害が起きたという報告もないです」(水野教授)
さらに、毎日新聞が入手した母乳に限っていえば、乳児の健康被害が懸念されるようなひどいシロモノだった。
「腸管が未発達な乳児ならば下痢、胃腸炎のおそれがある。重症に陥り、最悪の場合、死に至ってしまうこともあります。大人でも免疫力の弱い人には危ないのですから、乳児はなおさらです。こんなものは、絶対に飲ませるべきではない」(細菌学の大阪府立大学・山崎伸二教授)
問題は、同紙担当デスクが指摘するように、母乳にかかわる法規制がないことだ。報道は厚労省を動かした。同省は全国の自治体に対し、衛生管理状況が不明な母乳を乳幼児に与えることに注意を呼びかけ、問題がある販売業者には販売停止を指導するよう求めた。消費者庁も同調した。
「母乳は食品ではなく体液ですから、商品として流通するものではないと考えていた。しかし、健康被害のおそれがあり、お母さん方に注意喚起する必要があると判断した」(厚労省監視安全課)
通知を受けた東京都は「業者を調べているが、実態は把握できていない。ネット業者は報道でHPをほとんど閉鎖しているし、閉鎖していないものも所在地には見当たらなくて……」と困惑。
背景には"母乳神話"がある。冒頭の母親によると、最近の幼児塾では「2歳までは母乳で育てる」と教えることが多く、育児に熱心な母親ほど母乳にこだわるという。
「母乳はストレスに弱い。悩むとますます出ないという悪循環になりかねない。わが子をしっかりと抱きしめて、気持ちを楽にして前に進んでほしい」(前出の水野教授)
昭和大学江東豊洲病院では昨夏、水野教授をリーダーとする国内初の「母乳バンク」をスタートした。同院に通う母親と乳幼児を対象とし、母乳代は無料。こうした試みが広がることを願いたい。
取材・文/フリーライター 山嵜信明(やまさき・のぶあき) ●1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、’94年からフリーに。事件取材を中心にスポーツ、芸能、動物などさまざまな分野で執筆している。