今年も8月6日がやってくる。広島にとっては特別な日だ。
今年は被爆70年を迎える。
広島の人々は、長崎の人々は、沖縄の人々は、そして日本人はどう思ってこの70年を過ごしてきたのだろう。
ボクは大学進学で東京に上京してきてみて、「原爆の日」のその重さが広島とそうでない地方の人間とではずいぶん違うことに驚いた。
長崎でも、沖縄でも、いや本当に戦争に行った人と、そうでない人にもそう感じるものがあるに違いない。
人それぞれの計り知れない思いがあるのだ。
「〇〇年前の今日、広島に原爆が投下されました」「式典が行われています……」などなど、もちろん、東京でも報道されている。
それを聞いて何人の人が思いを馳せてくれるのだろうか?
広島では、夏休み中にもかかわらず、小学生は8月6日が登校日。平和学習となるところが多い。
おのずと子どもの頃から、戦争について、原爆について、学ぶ。
おじいさんやおばあさん、親戚に被爆体験者がいることも多いし、原爆資料館(広島平和記念資料館)に社会科見学にも行くだろう。
東京生まれの妻を見ていても、子どもたちを見ていても、そういう意味では広島の人たちは10倍以上の知識があるといっていいだろう。
しかし、広島の人たちもそれが当たり前だと思っているので、そのギャップになかなか気がつかないのだ。
広島には8月6日に向けて、世界中の人々が集結する。
アメリカからも、フランスからも、一般の市民たちが式典に参加するためにやってくる。広島に人間がこんなに入れないだろうというぐらいだ。世界中の人々が痛みを感じ、平和を願う。
ここで、もっと広島の人が声を大きくして発信していかねばならないことなのではないか、と思っているが、被爆70年にあたり、今年は広島でさまざまな企画が進められている。
広島東洋カープは被爆の記憶を受け継いでいこうと、8月6日に本拠地・マツダスタジアムで開催される対阪神戦で、選手、監督全員が背番号を「86」にして試合をすると発表している。カープは市民球団として誕生した経緯もあり、今までも被爆からの復興の後押しをしてきた。
そして、被爆地・広島の再生と復興の歩みを漫画にした『まんがで語りつぐ広島の復興――原爆の悲劇を乗り越えた人びと――』(小学館クリエイティブ)も発売された。中国放送の「被爆70年プロジェクト」の一環で、復興に携わった広島の人々の勇気と気力が、切ないほど忠実に描かれている。
また、広島電鉄は8月末までの土曜日、日曜日、実際に被爆した路面電車車両を復活運行させている。
忘れかけている、語り継ぐ者もわずかになった今、このような取り組みは広島人として、日本人として、大切な意味があると思う。
もうこんなことを二度と起こさないために、この悲惨な現実に向き合う一日があってもいいのではないだろうか?
〈プロフィール〉
神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari