最近の世の中での嫌われ者の多くは、お坊ちゃま君である。二世や三世だったり、いわゆる「いいとこの出」と言われる、第一線で活躍している人が、叩かれる率が多いように思う。

「一国の長」と呼ばれている人もしかり。

 佐野研二郎氏も父は内科医、兄は経済産業省のキャリア官僚という、恵まれた環境にいたように思える。それだからこそ、そんなしがらみで大きな力の組織に気兼ねして、研二郎氏が何か言えないでいることがあるんじゃないかと変な心配までしてしまう。

 2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムが、開会式までちょうどあと5年になった7月24日、発表となった。

 テレビで見ていたボクの感想は「ずいぶん地味だな、好きじゃない」。「けれど、あの色の組み合わせは歌舞伎とか日本の伝統芸能を連想できないわけじゃないのかな?」なんて、嫌いだけど、いいところをいろいろ探してみたりした。決まっちゃったんだからね。

 このニュースはもちろん、世界中に発信されて、ほどなくクレームがついた。ベルギーのリエージュ劇場のロゴをデザインしたデザイナー、オリビエ・ドビ氏が酷似しているとメディアを通じて訴えたのだ。

 お坊ちゃま君にもいいところはある。子どものころから家庭環境上、海外国内のいろいろなものに触れる機会もあったかもしれないし、近くにいる人の話を聞いているだけでもかなり勉強になったりするかもしれない。

 世の中の新しいものをいち早く手にすることもできたかもしれない。

 すくすくと育ち、やりたいことをやれる。

 佐野氏もスポーツマンで野球や陸上をやっていたけれど、高3でデザインに興味を持ち、代ゼミに通って美大にも合格した。

 就職だって難関の博報堂にも入れた。もちろん、本人の努力がなくては第一線で活躍することは不可能なのだけれど、恵まれた環境は否定できない。

 その後も佐野氏にはいく度のチャンスが巡ってくる。

 数々の作品が受賞して仕事も増える。「ああ、みたことある」というロゴをいくつもつくっている。TBSのブタのBooBo(ブーブ)、auのリスのLISMO、日光江戸村のネコ、ニャンまげなど。力作そろいだ。

 もしも、ボクが佐野氏であったなら、あの世界で注目の的のオリンピックエンブレムをパクってデザインするだろうか?

 そんなことができるわけない。

 ボクは小心者だからね。世界中から注目を浴びるエンブレムを、盗作でデザインするなんて恐ろしいことはできない。

 酷似している問題では、例えばホンダのエンブレムと韓国のヒュンダイのエンブレム。両方頭文字が「H」だし似ている。アメリカの友人に同じ会社だと思っていたと言われたこともある。

kohtari14-2

 ドイツの有名なビールのレーベンブロイのロゴとフランスの自動車メーカー、プジョーのロゴも似ている。盗作だなんて思ってみたこともなかった。

kohtari14-3

 だから、たまたま似ているのをつくちゃったという研二郎氏を信じてみようなんて思う人もわずかながらにいたんじゃないかな。

 しかし、次々に浮上する盗作疑惑。サントリーのトートバッグ騒ぎでは、ついに「第三者のものを部下がトレースしてしまった」と認めてしまったのである。佐野研二郎デザインなのだから、部下の責任ではなくて佐野氏の責任である。わずかばかりの信じてくれていた人も「もうちょっとお手上げ」そう思ったに違いない。

 盗作していてもしていなくても、オリンピックのエンブレムだけだったら、偶然の一致で世界中の人もしかたないと思ってくれたかもしれない。「味噌がついて残念だったね、せっかくのオリンピックなのに」。なんか心の中でいやな気持ちがくすぶり続けるがGOとなったにちがいない。

 けれど、ここまできたら、もうひとりのお坊ちゃま君がまたまた「白紙撤回」の会見を開くんじゃないかな、なんて思ったりして。

〈プロフィール〉

神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari