大阪・寝屋川市の中1遺体遺棄事件。防犯カメラに写る二人の少年少女は中学生と言ってもまだまだ幼さが残る。容疑者は去年10月に出所したばかり。服役が12年というのだから、かなりの犯罪に手を染めている。
2002年、中2の男子生徒を道案内を理由に車に乗せて手錠をかけ、現金1500円と携帯電話を奪ったとして、強盗、逮捕監禁などの容疑で逮捕された。その他にも高校生ら2人を車内に監禁、粘着テープで縛って連れまわすなどしたとして再逮捕。余罪を含め10代の少年計8人が被害に遭った。今回の事件前にもスタンガン、手錠、注射器などを所持していて、秋葉原で職務質問されている。
そんな危ない山田浩二容疑者に出会ってしまったのは、本当に不幸なことだ。言葉では言い表せないほどの無念。
こんな子どもが夜中に歩いていて大人たちは何をしていたのだろう。二人の親は、子どもを亡くしてしまった今、自分を責めても責め切れないだろう。子どもと親の心とがすれ違う隙間。いつから親は親として、子供は子供としての自分から外れていってしまったのか。
「こんなに遅く出るなんて絶対にダメ」。言ったけれど振り切って出て行ってしまったのか? それともそれすら言えない親子関係になってしまっていたのか?
次なる大人の存在、町の大人たちは見て見ぬふりをしていたのか? 誰にも出会わなかったのだろうか? あの時間に駅前で出会う大人は酔っ払いぐらいのものなんだろうか?
いまどき大人が子どもに声をかけるというのは、そうとう勇気のいることだ。嫌な世の中になったもんだ。
昔は近所のうるさいオヤジやおばさんがいて、「そんなとこでうろちょろするんじゃないよ、帰んな」なんて怒鳴られていたに違いない。
ボクも電車でお年寄りに迷惑をかけている、あまりにも常識的でない小学生を注意したことがあって後味の悪い思いをしたことがある。
まあ、ボクはそんなことじゃひるまないけれど、大人が子どもを注意する、それもはばかれる世の中なのだ。
そして、警察はどうだったのか? 一度もパトロールに通りかからなかったのだろうか?
もしも「街頭補導」していたら……「街頭補導」というのはよく耳にする補導のひとつで、道路や駅、多く集まるところや子どもの犯罪がおこなわれやすい場所で子どもたちを発見し、必要に応じてその場で保護することである(少年警察活動規則7条)。
補導をされた2人の気持ちになってみれば、さらに気持ちは荒み警察や親たちや大人たちや社会に対して、不信感を募らせたかもしれないが、命を落とすことはなかっただろう。
今回の事件では、防犯カメラについても議論されている。防犯カメラが事後の解析には役立っても防犯にはなかなか機能していないという点だ。
やはり、カメラの目で見られているという抑止力よりも、生の人間に見られているという抑止力が防犯の役に立ってほしいと願う。
大人たちよ、子どもを見守ろう。
〈筆者プロフィール〉
神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari