のちに作成された調査報告書によると、ひとりに平手打ち3回と蹴り1回。ほかの4人には平手打ち1回ずつ。それを目撃した恭平くんは帰宅後、母親に話した。
「すげえ嫌なものを見た。すごいかわいそうだった」
26日、中間テストの結果が出されるが、恭平くんは欠席。この日、携帯サイト『うつ病診断』にアクセスしている。結果は「重いうつ病にかかっている可能性」だった。
5月下旬のある日、練習中にエラーをして副部長に、「ユニホームを脱げ! 消えろ!!」と怒鳴られた。以後、恭平くんは練習に出なくなった。6月6日、副部長がキャプテンを通じて、恭平くんを呼び出した。この日、恭平くんは友人に、
《とりあえず、ビンタ、タイキック、グーパンチ覚悟。そして、第一声はどういうつもりだ?!…予想》とメールしている。 友人は《ビンタ×5》
と返信。恭平くんは、
《えー…、まあ覚悟はしておきます。顔面腫れ上がっていても気に為さらないでください。(笑)》
と送った。これまで直接は暴力を受けていなかったが、サボっている中での呼び出しで、体罰を予感したのだろう。
恭平くんは呼び出しに応じなかった。7日、校内で副部長に見つかるが、恭平くんは避けてしまった。8日、副部長と体育の授業で顔を合わせるはずだったが、恭平くんは欠席。その翌日に亡くなった。
直前の6月1日、文部科学省は「児童生徒の自殺が起きたときの背景調査の在り方について」という文書を通知。そこには初期調査について、「できるだけ速やかに、その経過について遺族に説明する必要がある」と書かれている。
しかし、優美子さんが知らない間に、学校は報告書を県教委に提出していた。学校への不信感を持ったため、両親は調査委員会の設置を求めた。
だが、委員の名前は「非公開」。誰かも知らない人に話せないと思った両親が、名前や職業を知りたいと要望すると、「精神科医です」「弁護士です」などと職業だけを名乗った。
また生徒への聞き取りはされず、両親も調査委の質問に答える以外は発言禁止とされたため、この調査委を拒否して退席。県知事に要望書を出した。
'12年4月、県知事のもと、新しく第三者委員会(事務局は知事政策局)ができた。こうした委員会は愛知県内では初めて。しかし、聞き取りができたのは対象となった同級生35人と野球部の同学年21人のうち5人。
「最初は聞き取りに応じてくれた生徒はゼロでした。調査委に何度もお願いしました。学校側から電話で生徒たちにどう依頼したのか、調査委は把握していません。そのため手紙も出してもらいました」
その結果、元同級生1人の聞き取りと12人の書面アンケート、野球部で1人の聞き取りと2人の書面アンケートの協力が得られた。
調査委による聞き取りとは別に、優美子さんは部員の話を聞いているが、その記録は採用されなかった。
「証拠として提出することに同意がないから、との理由でしたが、“同意を取ればいいのか?”と聞いても、明確な回答はありませんでした」
'14年2月、調査報告書が出された。①健康上の問題、②野球部の雰囲気、③学業成績に関する親からの期待やプレッシャー、の3点を恭平くんに葛藤をもたらした要因としてあげている。健康上の問題は、肩を壊したが、治療のために通院し、練習ができるまで回復した、としている。
体罰を含む野球部の雰囲気については、部活を変えようとしたが、副部長と監督からの慰留によってやめられなかったことを指摘している。
児童虐待防止法でも、父母間暴力を見聞きする「DVウィットネス」(DVの目撃者)は虐待の一種と考えられているが、体罰も同様だと位置づけ、《自殺に至る過程の中では、重視して考えなければならない》とした。
副部長は恭平くんに「ユニホームを脱げ! 消えろ!!」と言ったことも両親には認めた。しかし調査委で副部長は「(暴言を)使ったのは1年生の夏前、“死ね”の意味ではない」と弁明した。
採用されなかった部員からの聞き取りでは恭平くんが副部長の標的にされていたとの証言も。肩を壊していたことを知りながら、恭平くんに思い切り投げるように命じていたとも。