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写真右が村上浩三さん、左は父親

 1日約4万人にのぼる食のプロたちが厳しい目を光らせ、食材の売り買いを行う築地市場。ここは古きよき時代の伝統を引き継ぎながら、約80年間、日本の食文化の一大拠点であり続けた。しかし、今年11月の豊洲移転に伴い、間もなく閉鎖されることになる。

 干物専門仲卸『村和』の三代目・村山浩三さんは高校卒業後貝類の仲卸に。その後、雑誌がきっかけで、テリー伊藤さん率いる制作会社に入りテレビの世界へ。さまざまな葛藤、心の旅の果てに家業を継ぐことを決意し商売に専念する。

 幼いころ父に肩をもんでくれと頼まれた。カチコチだ。仕事が大変なんだろうな、と思った。少年は素直に表現できず反発したこともあるが、心の奥では河岸で働く父を尊敬していた。

「若いころは、お父さんみたいに長靴をはくような仕事はカッコ悪いから、スーツを着る仕事に憧れていました」

 創業者はおじいさん。干物の競り人だったが戦争に行き、帰ってきてから仲卸として店を出した。

「村和の『和』には平和、和の心といった意味を込めたらしい。ウメという名のばあちゃんまで“画数がよくないから”という理由で『和子』と名乗らせたほど」

 おじいちゃんは、ひとりで夜中の12時から働いていた。それを見て、いつか継いで助けてあげたいという気持ちが芽生えた。

「おじいちゃんは気前のいい風流人でね。その日一番に荷物を持ってくる人にタバコやコーヒーをあげたり、踊りもたしなんだ」

 おじいさんのひとり息子つまり浩三さんの父は、大学に行きながら手伝いをし、卒業後そのまま家業へ。

「僕は高校卒業後、実家の店を手伝いつつ、自分のところで特別扱いされるのが嫌で、よその仲卸でも修業した。同級生は大学生や専門学生。夜遊びできないし、フラレるし」

 そう話しながら笑っていたという。そんな折、浩三さんはたまたま読んだ本がきっかけでテレビの制作会社に入社。

「ディレクターになって給料も上がったけど、家のことはずっと気になってはいたの。大きな仕事を終えたところで区切りがついて、築地に戻ろうと決心した」

 おじいさんは他界していた。『ミニスカポリス』というお色気番組の余興でADとしてテレビに出されたときに訃報を聞いたというエピソードは今となっては笑い話。洒落者のおじいさんなら笑って許してくれるのではないだろうか。

 創業者亡きあと、二代目、三代目は築地を卒業し豊洲でのリスタートを決意。

「1度離れた築地だけどやっぱりいいところ。同じメンバーでやり直すから人情は残ると思うけど、辞めちゃう人も多い。寂しいよね」