スケート場の再開と羽生選手の金メダル
本の帯にはソチ五輪フィギュアスケート金メダリストの羽生結弦選手とのツーショットと「僕が求めている『ブレない自分のつくり方』が書かれており、感動しました!」と推薦文が添えられている。
羽生選手とは、ジュニア時代から親交があり、成長を見守ってきた。
「女の子みたいに可愛かったです。能力もあって、(ジュニアの試合では)必ずメダルをとって、会いに来てくれました。そのときに“次は五輪で金メダルだね”と頭を撫でながら話していたことが本当になって、心からうれしく思います。いまでは、私よりも背が高くなって、私が頭を撫でられるようです(笑)」
羽生選手が、子どものころから練習していたスケート場『アイスリンク仙台』は、村井知事が就任して再開されたものだが、逸話も。
知事が県議会議員だったときに宮城県内にスケート場がなくなり、フィギュアスケートの練習場所を失った子どもたちと、再開を要望する署名活動をして、当時の知事に陳情した。しかし、予算がないため、あえなく却下された。その後、自身が知事に就任し、陳情される立場に。財政的な問題で二の足を踏んでいたが、職員に相談し、方策にあたらせた。結果、県と仙台市が整備費用を賄い、運営会社を誘致し、再開することができた。
「羽生選手が、“あのおかげで、金メダルをとることができました”と、言ってくれたので、そのときに奔走した職員を呼んで、一緒に写真を撮ってもらいました。スケート場が再開していなければ、羽生選手は、(練習場所を求めて)ほかに移っていたでしょうし、金メダリストを生んだスケート場にもなっていなかったと思います」
自信がないことはコンプレックスではなく、自分らしさであることに気づき、これからも復興のリーダーとして牽引役を務める。
「松下幸之助さんは人を育てることが上手な方で、ひとりひとりの能力をつぶすことなく、どうやったら、ひとりひとりがもっと大きな仕事ができるのか、見て、育て、厳しく指導した。
私も多くの県職員と接して、ひとりひとりのいいところを伸ばしてあげたいという思いでいます。怒るときは、ひとりのとき。ほめるときは大勢の前で。“怒り方”と“ほめ方”、本には書いてないけど、45番目のヒントがありましたね(笑)」