週1回のレッスンに通い始め、その年の暮れには前身のスケートボーイズの一員に。翌年3月にはSMAPとしてアイドル誌のグラビアに登場していた。ジャニーズに入っても“エリート”だった。
はじめて味わった挫折
そんな木村が初めて挫折を味わったのが、17歳のときに出演した蜷川幸雄さん演出の舞台『盲導犬』だった。主人公の男性とホモセクシャルな関係になるフーテンの少年という役柄の難しさもあったが、蜷川さんの木村に対する要求は高かった。ひとつのセリフに何十回もNGが出て、そのたびに稽古が止まる。生前、蜷川さんが回想している。
「完璧にうつ状態になって稽古場の陰から出て来なくなったことがあった。だけど拓哉は強がりだから、何もなかったかのような顔で、また稽古を続けた。あいつ才能ありますよ」
木村自身も当時のことを、
「すっごい悔しかった。稽古場ではトイレと友達になっちゃってね。休憩時間や終わったあとは、ひとりでトイレに入って……ずっと泣いてた」
と振り返っている。
その後、『あすなろ白書』(フジ系)の取手役で一躍ブレイク。お調子者だけど、一途になるみ(石田ひかり)にアタックする姿、なるみを背中から抱きしめるシーンは“あすなろ抱き”と呼ばれ、憧れる女性が続出した。
当時、プロデューサーだった亀山千広フジテレビ社長は、クールに見えた木村をあえてメガネをかけたお調子者の役にしたという。