あるとき美穂さんは、偶然目にしたパソコンの画面にクギづけになる。同僚が社員の女性と連名で、《上杉美穂と一緒に働けない。仕事の出来に問題があるので派遣契約の更新をしないでほしい》と、上司にメールで嘆願していたのだ。同僚は社内で顔がきき、上役とも親しく、力を持っているように見えた。

 その後、美穂さんは派遣会社を通して「契約を更新しない」と告げられる。偶然か、同僚が仕組んだ結果か、はっきりとわからない。

 今なら同僚はおかしいとわかるし悔しさも感じる。それでも「もっとうまくやれたら、なんとかなったんじゃないか。自分の能力不足のせいじゃないか」と仕事を切られるたびに思ってしまう。そう美穂さんはつぶやいた。

介護しながら働く中、派遣の契約解除を告げられる

 24年間、メーカーで派遣社員として働いてきた相川智恵さん(53=仮名)は12年末、契約解除を告げられた。社内の雰囲気から察してはいたが、いざ雇い止めに遭うと「やっぱり悔しかったですね」

 当時の法律では、派遣労働者がひとつの仕事に従事できる期間は原則3年。相川さんはワープロオペレーターとして専門業務の扱いだったことから、3年以上働くことができた。

 派遣として働き始めたころはバブルの真っただ中。時給はそれなりによく、両親と3人で暮らすことのできる額だった。しかし、そこから時給は上がらず、反対に社会保険料、派遣会社の取り分などが増え続けていく。景気の陰りに伴い待遇も悪化していった。

「事業所の統廃合に合わせて職場が変わり、通勤に片道2時間かかることもありました。交通費が一部支給されるとはいえ、ほぼ持ち出しの状態でした」

 家族にも変化が訪れる。8年前に父が亡くなりやがて母は認知症を発症。相川さんは介護しながら働く生活を送っていた。そんなときに告げられた契約解除。

「看てくれる誰かがいる人や、ハウスキーパーを雇えるような蓄えのある人はいいですけれど、そんな恵まれた人ばかりではない。家族はいろんな事情を抱えているのに……」