姉の応募をきっかけにジャニーズ事務所に入った大沢樹生さん。13歳で『イーグルス』としてデビューするも、鳴かず飛ばず。バックに戻るつらさも味わった。
「これ以上、ここにいてもダメだとジャニーさんに話したら、“本気なの? ユー、ローラースケートはできる? 絶対スターになれるからやりなよ”って」
これが光GENJIの始まりだった。3か月間ローラースケートを特訓、1987年末にデビュー。社長の予言どおり人気に火がつき社会現象を巻き起こす。
「1日3回公演の日もあって“かったりぃなあ”なんて言いながらもステージに立つと燃える。自分たちのパフォーマンスでファンが喜んでくれるのは、すごく気持ちよかったですね」
人気が出ている実感はなかったそうだが、田原俊彦さんの部屋にお邪魔したら、
「トシちゃんの部屋が全面鏡張りでめちゃくちゃ広くて、ジュースも飲み放題。すごすぎてキョトンとしながらも、“これが芸能界かー!”と肌で感じた」
グループでは年長組の大沢さん。必要以上になれ合わなかったというが、
「仕事でパーティーなんかに行くと、みんなが俺の振る舞いをまねしてるのがわかった。こっちが20代で相手が10代だと、だいぶオトナに見えたんですかね。俺も正しいマナーなんてわからないし、リーダーは内海(光司)君なんだけど(笑)」
当時、陰ながら恋愛も。
「ただ、女性アイドルにはいかなかった。マネージャーたちが“大沢には気をつけろ”っていう空気をバンバン出していて。キザとか近寄りがたいとか言われたりしていたからかな? だから“意地でも誘うか”って思って(笑)。同じ人と長く付き合ってましたよ」