JR東日本の経営を支える上越新幹線
この法律には重要な点がもう一つある。どこに新幹線を建設するかを、国鉄(現:JR)が決めるのではなく、運輸大臣(現:国土交通大臣)が“基本計画”および“整備計画”として決定するのだ。
田中角栄(自民党幹事長)は、法律の原案を官僚から受け取ると、路線が書かれた別表を見るや、
「ここに、もう一線つけくわえるべきではないか」
と言って、路線を書き加えたという。付け加えた路線が上越新幹線だったとは明記していないが、言うまでもないということだろう。
このとき“基本計画”になったのが、東北新幹線、上越新幹線、成田新幹線である。東北新幹線は鈴木善幸総務会長、上越新幹線は田中角栄幹事長、成田新幹線は水田三喜男政調会長の地元を通るもので、このとき田中角栄が自民党三役に上り詰めていたことが、新潟県には幸いしたのだ。ちなみに、成田新幹線は地元の反対もあって実現せず、東北新幹線と上越新幹線だけが早期実現を果たす。
当初は収支が危ぶまれた上越新幹線だが、現在はJR東日本の経営を支える路線の一つである。上越新幹線の大宮駅~新潟駅(北陸新幹線含む)は、JRが発足した30年前に比べて5割も輸送量が増えた。
ただし、その牽引役は田中角栄の地元ではない。大宮駅~高崎駅は2.3倍にもなったが、高崎駅~新潟駅では15%も減っているのだ。
大宮駅~高崎駅が増えたのは、JR発足時にバブル景気が始まり、地価の高騰で通勤圏が広がって、新幹線通勤が急増したためである。
JR東日本が2階建て新幹線を投入したのも、この新幹線通勤に対応するためだ。こうして定着した新幹線通勤は、不景気になっても大きく落ち込むことはなく、現在に至るのである。田中角栄が生んだ上越新幹線は、北関東に住む遠距離通勤客によって育てられたわけだ。
彼が行ったことは功罪相半ばするが、結果的に、上越新幹線は多くの人の役に立った。時代とともに歩んできた上越新幹線は、今年開業35周年を迎える。
文)佐藤充(さとう・みつる):大手鉄道会社の元社員。現在は、ビジネスマンとして鉄道を利用する立場である。鉄道ライターとして幅広く活動しており、著書に『鉄道業界のウラ話』『鉄道の裏面史』がある。また、自身のサイト『鉄道業界の舞台裏』も運営している。