退院直後の悔やまれる「5日間」

「大橋さん、どこで死にたいですか?」

 昨年4月初旬に国立がん研究センター中央病院から退院した巨泉さんに在宅医療の医師は突然そう尋ねた。

 その言葉に、巨泉さんの弟で、オーケーエンタープライズ社長を務める大橋哲也さん(74)は大変驚いたという。

オーストラリアにて。妻・寿々子さんと弟・哲也さんに囲まれて
オーストラリアにて。妻・寿々子さんと弟・哲也さんに囲まれて
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 実はこのときCTに映るがんはなく、通院の負担がないようにと自宅で看護を受けることになっていたのだ。

「そんなこと聞くなよと思いました。まるで死の宣告でしょ! そのときの兄は自宅でスーちゃん(巨泉さんの妻・大橋寿々子さん)の美味しい料理を食べて、気力や体力をつけてカナダへ行くつもりだったのです」

 退院したときは、CT検査の結果を受けて、生きる英気を蘇らせていた巨泉さんだったが、その言葉で一気に気力が落ちてしまったという。

 巨泉さんがやせて出っぱった背骨が痛むと訴えると、医師は痛みが出たら必ず飲んでくださいとモルヒネ系の強い鎮痛剤を届けた。巨泉さんはその薬を飲み続けたところ、急激に衰え、歩行もままならなくなり意識も薄れて、5日目に以前かかったことのある病院に緊急入院となった。

 すぐに意識は取り戻したが、巨泉さんの記憶は18日間も不明瞭で、結局その病院で緩和ケアを受けながら過ごすことになった。

「兄は“もしカナダでがんが見つかったら、俺、カナダで死んでもいいんだよ”と話していました。でも、たった5日間で全く予定外の展開になってしまった。本当に、あの5日間だけが悔やまれる……」

 哲也さんがそう語る。

 巨泉さんの妻で元女優の大橋寿々子さん(68)は、「今日も一緒に来ました」と言って大きな包みを自分の隣の席に置いた。それは巨泉さんの御骨が入った袋で、肌身離さず持ち歩いているという。

 寿々子さんも治療経過の書き記してあるノートを手にしながら、その在宅医療の医師の言葉が許せないと語る。

「言葉に殺されたと思っています」

 2005年に発症した胃がんに始まり、2013年にステージ4の中咽頭がんとその転移、2度の腸閉そくなど病魔と闘ってきた巨泉さんであったが、その医師の言葉に、がんセンターからのデータに自分が聞いてないことが書いてあったに違いないと思い、その日から目に見えてガクッとしてしまったと話す。

「ステージ4の中咽頭がんが見つかったとき、“先生、治りますか?”と主人が聞いたんです。すると先生が治ります! とはっきりおっしゃってくださって、それで“よし、闘う!”と元気になった。実際に中咽頭がんは治していただきましたし、そのひと言は大きかったです。在宅医のひと言は、逆の意味で大きかったのです」

 寿々子さんは巨泉さんが亡くなる前の3か月を過ごした病院で、毎日5時間、寄り添っていたという。

「いつも私が夜8時だから帰るねと言うと、“いやだ”と駄々をこねて。しかたなく諦めると目をそらして寝たふりをしていました……」

 穏やかな表情で気丈に話す寿々子さんが、たった1度、言葉につまった瞬間だった。