「口八丁手八丁」で英語がペラペラ!
家族とともに両国へ戻った巨泉さんは近所の日大一中、一高に進学する。家業を手伝いながら、御茶ノ水のアテネ・フランセに通い、音楽を通じて関心をもった英語を習った。そして1952年、早稲田大学政経学部新聞学科に合格する。
大学の同級生で、元『主婦の友』編集長・高森二夫さん(84)が学生時代の巨泉さんの様子を語ってくれた。
「新聞学科特有の“英字新聞購読”という科目があったのですが、ジャパン・タイムズの社長とか編集局長が講師として来ていました。あるとき講師がここはこういうふうに訳すんだと教えてくれたら、大橋が“先生、僕はそれよりもこう訳したほうがいいと思うんですがどうでしょうか?”と言った。そのくらい自信があったんですね。それでさすが新聞社の大物だなと思ったのは講師が“うーん、なるほど。君の訳のほうがいいかもしれないな”と、ちゃんと引っ込んで、大橋を立てたんです。
大橋は英語がかなりできたし、彼の性格が英語の言葉に適していたんじゃないかな。口八丁手八丁で!(笑)自由闊達に先生と意見を言い合えるような雰囲気があって、いい時代でした」
巨泉さんは新聞学科の勉強や俳句研究会の活動は熱心に行ったが、自分の興味のない化学などの教養課程の単位は必修であっても放棄してしまった。また、ジャズに傾倒していき、大学は4年生で中退した。
ただ新聞学科の付き合いをとても大切にしていて、高森さんが卒業後60年間、幹事を務めたクラス会に毎年出席していたという。
「大橋の偲ぶ会には王貞治さんや河野洋平さんといった各界の著名人がたくさんいらしていた。そんな方たちとの交流があってさぞかし忙しかっただろうに、クラス会にいつも参加してくれていたことを改めてうれしく感じました。
早稲田の新聞学科は50人足らずで、みなジャーナリズムの仕事がしたいというひとつの目標があったのでまとまりがよかったんです。卒業してからも何となく同じ方向を向いていました。もうほとんどのメンバーがあっちの世界へ行ってしまい、残っているのはほんのわずかになってしまいましたが」