相続した遺産で和食料理店をオープン
腕のいい料理人だったという島被告は、震災翌年の'12年6月、宮城県石巻市内に、和食料理店をオープンした。
「当初は、調理とホールで12~13人はいた」と納入業者。
同市内で飲食店を営む50代の男性は、
「カウンターは檜造りで、すごい金をかけた店内だと、内装業者に聞きました」
この開店資金も、少年が相続した遺産からだった。派手な生活は、目についた。
「店に出勤するときもベンツ。金があるなとは思っていましたけど、1か月後ぐらいに別の型のベンツに乗ってたんですよ。不思議に思い、買い換えたんですか? って聞くと“代車なんだよ”って。実際は甥の金でベンツを2台も買っていたみたいですね」
そう明かすのは仕入れ業者。別の仕入れ業者は、
「朝に魚を買いにくるんだけど、他の店の倍の量は仕入れていましたね。忙しかったんじゃないかなぁ。ただ、車に匂いがつくのが嫌だから商品は全部配達。高級な食材を大量に仕入れるときは“大変だろうから先に払おうか”なんて、いかにも俺は金を持っているんだと匂わせることもありましたね」
最初は繁盛していたという。市内に住む50代の女性は、
「食材もいいものを使っていたから、料理はおいしかったですよ。値段は高いけど」
一方で、「1回行ったけど、たいしたことないね」と、ばっさり切り捨てるのは市内に住む30代の男性だ。
「車で行かなきゃいけないから、わざわざ行こうって思わない。石巻なら魚はもっと安くてうまい店があるからね」
従業員への暴力のほかにもクレーマー体質が
評判はまちまちだが、従業員はひどい目にあっていたようだ。島被告の横暴さに嫌気が差し、やがて1人辞め、2人辞め……。前出の納入業者は、
「従業員に暴力をふるうんです。調理の若い男の子なんて、顔に青タンをつくっててね。どうしたのって驚いて聞いたら“ちょっと……”と言葉を濁していました」
事情を知る飲食店関係者は、
「客の前でも怒鳴るわ、暴力はふるうわで最後はホールの女の子3人だけでしたよ。厨房が自分ひとりでよく回るなって思っていましたけどね。実際に暴力をふるうのを見たことがあるけど、殴る蹴るで、ひどいもんだったよ」
と話す。