彼女には、自分がこれまで旅館に何もしてあげられなかったという後悔の思いがあるのだという。
「両親に恩返しをしたいという気持ちが強いんですね。高校生のときにはアメリカに留学させてもらい、大学時代は東京で音楽に親しんだ。
その結果、彼女は成功できたんです。5代目の社長であるお兄さんに対しても、感謝の気持ちを持っていますよ。まりやが音楽に興味を持ったのは、彼の影響もありますからね。
だから、なにがなんでも旅館を守りたいんですよ。“私は本当に自由だった。お兄ちゃんは本当に不自由だった”とも話していましたから」(小杉社長)
地元の旅館や商店が次々と店を閉めていくなか、兄がまがりなりにも竹野屋旅館をつぶさずに守りきったことに感謝しているのだ。
「まりやには“大切なものがお金で守れるんだったら、あるお金を全部はたいたっていいじゃないか。お前には山下達郎というすてきな伴侶がいるんだから”という話はしました。山下も“そんなに大事なものがあるんだったら行くしかないでしょう。何か僕にできることはありますか?”と言ってくれています」(小杉社長)
夫婦で出雲を訪れることもあり、山下のこんな姿が目撃されたことも。
「達郎さんは本当に気さくな人ですね。タクシーの中でたまたま自分の曲がかかったら、ラジオに合わせて歌いだしましたよ(笑)。この距離で生声が聴けるなんて、ファンからしたらとんでもない贅沢ですよね」(地元のタクシー運転手)
旅行サイトのクチコミによれば、竹野屋旅館では朝に竹内まりや、夜に山下達郎の曲が流れるのだという。2人のファンが泊まりに行くようになれば、全盛期の賑わいを取り戻せるかもしれない。
「まりやはオーナーになったわけですから必死ですよ。最近では、毎週のように出雲へ行っては“やったね、来週も土日が埋まったみたい!”と電話がかかってきます。いきいきしているのはいいけれど、歌手活動は完全に休業状態。事務所としては困りものですけどね(笑)」(小杉社長)
'80年代の名曲『元気を出して』の歌詞「チャンスは何度でも訪れてくれるはず」を地で行くように、まりやは、今日も旅館の再建に力を尽くしている。