「反論とか暴露する気はなかったんです。でも、考え方を変えざるをえなかったのは、日本全国で読まれる『週刊女性』さんに、泰葉が真実と違うことを述べているということ。
そして、CD制作で未払いになっている法人が10社以上あるということを知ってほしかったので。僕のことより“真実はひとつだ”ということを明らかにしたいのです」
そう静かな声で語るのは、今年8月まで泰葉のマネージャーをしていたA氏。『週刊女性』は以前から再三、インタビューを申し込んできたが、ついに彼が重い口を開いてくれた。
「私は音楽ディレクターとして28年やってきました。そして、昨年12月に泰葉のマネージャーをやっている知り合いから、“音楽部分を手伝ってくれないか”という連絡があったのです。その月に代々木の小さなライブハウスで泰葉のライブを見たんですよ。そのとき、声がすごく素晴らしかった。感動したんです」
だが、ほどなくして彼を誘ったマネージャーが突然、泰葉からクビに。つまり、A氏だけが残されてしまったのだ。
「彼が切られてどうしようかと思ったんですけど、あの声ならミニアルバム1枚くらいやってみたいなって傾いたんです。ディレクターの性ですよね。才能ある人間にやっぱり憧れるし、燃えるんですよ」
A氏と泰葉はCD制作について今年の2月8日、3月10日とミーティングを重ねる。そこで、CDの出し方や販売方法、そして彼女の父親である先代・林家三平さんの命日である9月20日をリリース日にすることが決まった。
「自分で『泰葉レコーズ』というレーベルを持ち、原盤フィーを持って作りたいというので、600万円くらい制作費がかかるよって。そうしたら、“私は800万円くらいかかるかと思った。大丈夫、売れるから”って。
このとき僕は彼女の経済事情も知らないですし、3月10日には帝国ホテルのスイートルームを借りて打ち合わせをしたくらいですからね。
僕と泰葉のほか、アレンジャーなど制作関係者6人。彼女はドンペリ3本くらいと大きいオードブルを持ってこさせ、打ち合わせが終わったあとは親睦会になり、いい形で終わったんです」
5月18日に行われた1回目のレコーディングから、順調に音楽制作は進んでいた。あとは、CDをプレスする段階という7月中旬に、彼女から驚きの告白をされる。