(ノンフィクションライター 亀山早苗)
<第2回>
高野京子さん(仮名=79)、富永裕子さん(仮名=70)のケース
「疲れ果てて、娘を殺して私も死のうと思ったことがあるんです」
衝撃的な言葉を発したのは、とある家族会講演会で出会った高野京子さん(仮名=79)だ。小柄でやせた京子さんは、そのまま口を真一文字に結んだ。49歳の娘と2人暮らしだが、この娘が30年以上もひきこもっているのだという。
娘の暴力に耐えた絶望的な8年間
「娘は高校のときいじめに遭っていたらしいんです。でも何も言わないからわからなかった。休みがちになって、そのまま登校しなくなって。夫が怒鳴りつけたので、部屋から出てこなくなりました」
京子さんも最初は説得を試みた。自分がてきぱきしていてはっきりモノを言うタイプゆえにおとなしい娘を歯がゆく思うところもあった。「友達にもお父さんにも、もっと自己主張したほうがいい」とドア越しに話しかけたこともある。だが、事態は改善しない。娘は頑(かたく)なに部屋の鍵を開けようとはしなかった。
京子さんにできるのは、娘の部屋の前に食事を置いておくことくらいだった。娘は夜中にそれを自室で食べ、朝になると食器だけが廊下に出ている。
娘の部屋の鍵が開くのを待って、夫が乱入したこともあった。娘はまるで子どものように泣き叫んだ。「野中の一軒家じゃないんだから、こんな夜中に大騒ぎしないで!」と京子さんが間に入って止めた。そうこうしているうちに夫は諦(あきら)めてしまったという。
そんな状態が20数年続き、8年ほど前、京子さんの夫が病気で亡くなった。怖かった父親がいなくなったので、娘はときどき自室から出てくるようになった。
「そこから徐々に私に対して不満をぶつけてきて……。“おまえがあんな男と結婚するから、私の人生が台無しになった”“どうして私の人生の線路を敷こうとしたんだ”と泣きわめくこともありました。突き飛ばされて転んで前歯を折ったり、肋骨にヒビが入ったりしたこともあります。私も最初は抵抗しましたが、力では娘に勝てない。“もうお父さんもいないのだから、好きに生きればいいじゃないの”と言ったら、“おまえもアイツと一緒だ”と蹴(け)られました。絶望的な日々でした」