(ノンフィクションライター 亀山早苗)
<第3回>
瀧本裕喜さん(37)、母のケース
「自分が祖母を殺してしまうのではないかと思うと、怖くて怖くて。それで7年間、ひきこもってしまったんです」
18歳から25歳まで親と顔を合わせずにひきこもり、現在はカウンセラーとして働く瀧本裕喜(ひろき)さん(37)。すらりと背が高く、シャイな笑顔の印象的な「好青年」だ。
裕喜さんは会うなり、自分が100キロ以上太っていた「脱出直後」の写真を見せてくれた。髪は伸び放題、横幅は今の倍くらいありそうだ。
ソフトな語り口で、非常に謙虚な男性である。10年ひきこもった経験のある男性から彼を紹介されたときも、「僕はたった7年ですが、いいんでしょうか」と言ったのだ。
余談だが、「ひきこもり業界」(彼らはそういう言葉を使う)にも、その業界におけるある種の掟(おきて)のようなものがあり、長年ひきこもっていた人のほうが「上」という認識がある。同じアイドルのファンでもデビュー直後から応援していたほうが上、みたいな感覚だろうか。そのあたりのバランス感覚が興味深い。ひきこもっていた人と接すると、その純粋さがわかるだけに、どんどん惹きつけられていく。
祖母の愚痴に追い詰められて殺意
ひきこもったきっかけは、東京で母方の祖母とふたり暮らしを始めたこと。愛知県で両親と3人で暮らしていたが、浪人して予備校に通うために上京してきたのだ。
「大学受験に落ちて精神的に不安になっている18歳の少年に、祖母は毎日、“人生なんてつまらない”“生きてたって何もいいことないよ”と吹き込むわけですよ。祖母は、亡くなった祖父からDVを受けていたようで、積年の男への恨みが一気に僕に向いた。ただ、受験に失敗した僕に人生何もいいことはないという言葉は刺さった。気分が沈み、病んでいった。そして、祖母に殺意を抱くようになったんです」
彼は非常に繊細で優しい子だった。3歳からピアノを習い始めたが、小・中学校時代に、男子からは「男のくせにピアノなんかやって」とからかわれ、女子からは「私よりうまく弾くなんて」と嫉妬の目を向けられた。そのたびに深く傷つく。そして「傷つかないためには我慢して生きるのがいちばん」と自分に刷り込んだ。
両親とも早稲田大学出身で、ひとりっ子の裕喜さんを子ども扱いしなかった。父は幼い子にごく普通に四字熟語や諺(ことわざ)を使い、母は哲学を語った。
両親を超えるには東大に行くしかないと思い込んでいた彼だが、塾では「落ちこぼれ」と言われた。そういうことが積み重なって、「人に責められないためには、自己主張をせず、先に受け入れよう」と思うようになったのだ。